二十六夜待ちの山 – 秋山二十六夜山

お月見といえば、いまでは十五夜の月を指すのが一般的ですが、かつては十五夜以外にも様々な月齢の月を待つ信仰がありました。十三夜、十六夜、十九夜、二十三夜、二十六夜などなどなど。十三夜の月見は十五夜とセットになっていましたし、二十三夜待ちは全国的に広く行われていたようです。

今回は、こうした今となっては廃れてしまった月待ち信仰の内の、二十六夜待ちについてのあれこれです。

旧暦七月二十六日(現代だと八月中旬から九月中旬の間に当たります)の夜に、念仏を唱えながら昇ってくる月を待つのが二十六夜待ちです。

二十六夜の月は新月まであと三日の、三日月が反転した細長い月です。この尖った先端が姿を現わす瞬間に光が三本の筋に分かれ、その光の中に浮かぶ阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の姿を拝むと幸運が訪れるというのが二十六夜待ち信仰です。実際に、気象条件によっては光が三筋に分かれることがあり得るといいますから、その光の中に阿弥陀三尊が現われることもあり得るのかもしれません。

月の出は遅く、深夜の三時頃になるため、それまでずっと念仏を唱えながら月が昇るのを待ちました。集団で闇の中、一心不乱に念仏を唱えて月の出を待つのです。間違いなくトランス状態になっていたはずです。月が昇った瞬間は最高潮だったに違いありません。二十六夜待ちは、古の人々のトリップ装置だったのでしょう。

この二十六夜待ちは、江戸では十五夜、十三夜と並ぶ盛大な月見イベントになりました。といっても、信仰的な月待ちではなく、月が昇る明け方まで、飲んで騒ぐオールナイトのお祭りとしてです。さすが江戸っ子ですね。

二十六夜待ちの賑わいを描いた歌川広重の「東都名所高輪廿六夜待遊興之図」という浮世絵があります。これを見ると、当時の江戸の二十六夜待ちがどんなだったかがわかります。

この浮世絵、よく見ると江戸時代のファーストフードである寿司や天ぷらの屋台が出てたり、蛸のコスプレした人がいたりして、なかなか面白いです。ちなみに高輪というのは、当時は東側が海で開けた月見の名所だったそうです。

このオールナイトの大騒ぎも、派手な祭りや贅沢をことごとく禁じた天保の改革で禁止にされ、その後はすっかり廃れてしまいました。

二十六夜待ちに関連した、二十六夜山という名の山があります。場所は上野原市秋山、標高972mのさほど大きくない山です。

山頂直下の少し開けた場所に、二十六夜塔が残っています。二十六夜塔というのは、十九夜塔や二十三夜塔のような月待塔のひとつで、ここで二十六夜待ちをした記念の石碑です。

この二十六夜塔の日付は明治二十二年七月となっています。江戸末期に禁止されて以降も、この地では連綿と二十六夜待ちが続けられていたのでしょうか。

麓の11集落の名も刻まれており、周辺から集まって来た多くの人々が、ここで月待ちした様子が伺えます。といっても、多少は開けてるとはいえ、それほど広いスペースではありません。それに周りは木々に囲まれています。これでほんとに月の出が見えたのでしょうか?見えたんでしょうね。見づらいだけに、見えたときの感激も大きかったのかもしれません。

ほんとに見えるのか確かめに行きたいとも思いますが、ひと晩中ひとりで真っ暗な山中で過ごすのもちょっと…。

ちなみに2015年の二十六夜待ちは9月8日となります。

直線距離にして10キロほどしか離れていない都留市にも、同名の二十六夜山という山があります。こちらにも二十六夜塔が残っており、それは江戸時代の建立だと聞きます。さらには伊豆半島にも二十六夜山があるようです。

かつては広く信仰され、現代にも細々と続いている十九夜待ちや二十三夜待ちとは違い、村の古老の記憶にもない昔に廃れてしまった二十六夜待ちにちなんだ山名がいまでも残っているのも、なんだか不思議な気がします。