笹原の避難小屋 – 丹後山 / 大水上山 / 兎岳

急登が続く。尾根は狭くてジグを切れず、直登するしかない。崩れかけた箇所もあって荒れている。まるで崖を登るようだ。

背の高い針葉樹に覆われて薄暗く、気温は高くて蒸し暑い。汗が噴き出す。まったくうんざりする登りだ。

年配の男性とすれ違った。この時間に降りてくるというのは、昨夜は山中で一泊したのだろう。服装や雰囲気から地元の人のようだが、不自然なくらい大きなザックを背負っている。

「今夜は泊まりかい?」

この気が滅入る急登を5時間かけて登ると、樹林帯を抜けて穏やかで見晴らしの良い稜線になる。展望が開けてすぐの丹後山の手前に避難小屋があるのだ。この男性は昨夜はそこで夜を明かしたのだろう。

どうしようかなって思ってるんですよね。

いちおう日帰りの予定だが、距離が長いので泊まれる準備はしてある。一泊して明日の朝に下山するのも悪くない。

「せっかくだから泊まってくるといいよ。そのほうが楽しいし」

そう言い残して、男性は去っていった。

這々の体で高度を1400m稼ぎ、笹原の広がる稜線に出た。ここからは急登も無いし景色も良い。

丹後山避難小屋は笹原の中に建つ可愛らしい山小屋だ。小屋の中には一人分の荷物があったが、周囲には誰もいなかった。

とりあえずタンクに溜めてある雨水を給水させてもらう。水場が無いので、ここで水が手に入らないと厳しい山行になるだろう。

丹後山からは緩やかな起伏の笹原が続く。快適な山歩きだ。雲は多いが天気も悪くはない。

大水上山を過ぎて、最後のひと登りを終えると、兎岳の山頂に着いた。

これで、越後駒ヶ岳、中ノ岳、荒沢岳とぐるりと周る稜線上に出たことになる。

ほんとは三日かけてこの稜線を縦走する予定だったのだが、明日以降の天気がいまいちなので丹後山からの兎岳に変更したのだ。

もし稜線を縦走してたら、兎岳はいくつも超えるピークのひとつに過ぎなかっただろうが、こうして尾根を登りつめて来ると、山の印象は違ったものになる。

山頂にはソロの男性がいた。昨夜は避難小屋に泊まったそうだ。小屋にあった荷物の持ち主だろう。

昨夜は登山道整備の地元の人と二人だったという。朝すれ違ったあの年配の男性が、その登山道整備の人ってことか。どうりでやけに大きなザックを背負っていたはずだ。兎岳の可愛らしい山頂標識も、あの男性の手作りなのだろうか。

そうこうしてるうちに、後から登ってきたソロの女性、稜線を歩いてきたソロの男性と、山頂は徐々に賑やかになってきた。やっぱりこんなところに来る人は、なかなかに個性的な人ばかりだった。

みんながいなくなり、一人になるまでゆっくりしてから下山した。

帰りの避難小屋の周辺には数人の登山者がいた。今夜はここに泊まるのだろう。

どうしようかな。いちおう泊まれる用意はしてきている。とはいえ簡易的なので、食料は調理しなくても食べられるものだけだ。酒も無い。

酒も無いし携帯の電波も入らないのでは、長い夜を持て余しそうだ。明日の天気も期待できない。まだ時間はあるので、今回は下山することにした。またいつか、十分な準備をして泊まりにこよう。

急登は登るよりも下る方がたいへんだ。崖のような登山道をよろよろと下り登山口に着いた時には、両足の親指の爪が死んでいた。

2023年9月