ビルマ汁

ビルマ汁、その名前を初めて耳にした時、なんて素晴らしいネーミングセンスなんだろうと感嘆し、一体どんな食べ物なのだろうと興味がわいた。

益子町で局地的に食べられているというビルマ汁、その実態は野菜たっぷりのカレースープだった。特に凝ったスパイスなど使ってはおらず、おそらく市販のカレー粉のみで作ったごくごく普通のカレースープだ。

汁なのでご飯やおかずと共に食べられたり、うどんを入れたりと食べ方に特に決まりはない。

現在のミャンマー料理とはかなり遠いこのビルマ汁、謂れは第二次世界大戦まで遡る。

ビルマに出征していた飯塚潤一さんは、終戦後に地元の益子町へもどったが現地で食べた料理が忘れられず、手に入る食材でそれを再現しようとした。それがビルマ汁の起こりだという。

タイ料理店なんてほとんどなく、ナムプラーもパクチーも手に入らなかった時代に、タイで食べた料理が忘れられず、あり合わせの食材でそれを再現しようと試みていた私は、この飯塚さんにたいへん親近感を覚えた。

長らく飯塚家の家庭料理であったビルマ汁は、近所の人や親戚友人へと広まっていき、いまでは益子町を代表する料理のひとつとなって提供するお店も多く、学校給食にも登場している。

トマトやナスやインゲンなど夏野菜をふんだんに使ったビルマ汁は夏の食べ物だ。家庭でも主に夏に作られるようだし、多くのお店でも夏しか出していない。

益子町では、ビルマ汁が夏の季語なのだ。