Brand-New Year – part3 雲仙普賢岳
平成新山を後にして、ようやく登山道らしくなってきた。稜線まで上がると景色が良い。ついつい立ち止まって振り返り、写真を撮ってしまう。
稜線をしばらく進むと普賢岳の山頂だ。
山頂では数組の登山者が思い思いに時を過ごしていた。そしてその中には、例のお姉さんもいた。もうとっくにいなくなってるだろうと思っていたが、まだ下山していなかった。
お姉さんは食事の支度をしている最中だった。目があったが軽く会釈して、離れた場所にザックを下ろし、冷えた菓子パンを取り出して食べた。
普賢岳から望む平成新山はカッコいい。いつまでも眺めていられる。なんとなく立ち去り難く、ずっと山頂に留まっていた。
「あんな大きなのができたなんて、すごいですね」
いつのまにか他の登山者はいなくなり、山頂には私とお姉さんの二人だけになっていた。
お姉さんは熊本の人で、噴火の時はまだ子供だったけど、あの日のことはよく覚えているという。熊本からも海の向こうに噴火の炎が見えたそうだ。
「どこから来たんですか?」
今度は素直に答えた。
「いいですね」
お姉さんは九州から出たことがないそうだ。お金を貯めていつか九州の外へも行ってみたいという。
「写真撮らなくていいんですか?」
どうやらどうしても記念写真を撮らせたいようだが、自分の写ってる写真なんて勘弁してほしいので、丁重にお断りした。その代わり、撮る分にはいくらでも撮りますよ。指示されるがままに撮影します。
そして、お姉さんに立ち位置や画角を事細かく指定されて何枚も撮った。
「阿蘇には行ったことあります?」
熊本の人だからやはり阿蘇推しなのだろう。阿蘇山には数年前にも登ったし、高校生の時には修学旅行でも来ている。
それからひとしきり修学旅行と大人になってからの旅行の違いや、九州の外でのオススメの場所など、さまざまな話をした。
人と話せば新しい考えに触れることもできるし、会話をしていると自分でも思いもよらなかったアイディアが口から出てきたりする。そしてなにより楽しい。どうせ話してもつまらないと思っていたが、つまらなくしていたのは自分だった。自分で不必要な心の壁を作っていたのだ。いい歳してようやく気づいた。お姉さんのおかげである。無愛想にしていたにもかかわらず、三度も話しかけてくれたおかげだ。
楽しい時間を過ごした後、「それでは」と言い残してお姉さんは下山していった。あとは下るだけだから、もう追いつくことはない。
二度と会うことはないだろうが、大切ななにかを心に残していってくれた。そして、ああいう人になりたいなとも思った。
熊本のお姉さん、ありがとう。どうせなら、自分の写ってる山頂記念写真も撮ってもらえばよかったな。
2023年1月