Brand-New Year – part2 平成新山

雲仙岳の周回ルートは単調な区間がまあまあ長い。景色の良い場所は抜群に良いのだが、退屈な区間はひたすら退屈である。国見岳から下山してしばらくは普賢岳の山頂を巻くようにして進むため、平坦で暗く展望のない樹林帯が続く。

そんな登山道を歩いていると、前方でこちらに手を振ってる人がいた。さっきのお姉さんだ。

「いや〜、修行でした〜」

国見岳から周回ルートへ直接下るコースは、トレースも無く太ももまでのラッセルだったと言う。ぐるっと回り込む一般ルートをショートカットしてるとはいえ、ソロラッセルでバリエーションを突破して私の前に出るのだから、やはりこのお姉さん相当強い。心配したが、余計なお世話だったようだ。

お姉さんはもう少し話したそうだったが、狭い登山道の途中でもあるし、黙々と歩いていた流れもあって、曖昧な返事をしただけで先へ進んでしまった。

その後、風穴で解説板を読んでる時に追いつかれたが、特に言葉を交わすこともなく、のんびり歩きたいので先に行ってもらった。

無愛想にしちゃったな。

人と話すのは嫌いじゃない。苦手でもない。でも、ひとりで山に登ってる間は、あまりそういう気分にならないのは確かだ。瞑想状態で歩いているので、すぐに頭が切り替わらないのもある。

だから、こちらから誰かに話しかけることはまずないが、話しかけられた時はちゃんと受け答えしたほうがいい。そうは思うものの、心の壁が邪魔をして、初対面の人と気安く話すのを躊躇わせてしまう。過去には何度も山で会話したが、話しかけてくる人の話はだいたいみんなつまらなかったというのも二の足を踏ませる原因になっている。

でも、あんなに愛想よく声をかけてくれてるのに、適当に流して会話を終わらせたのは失礼だったな。次に会ったら、気取らずカッコつけず話そうと思う。だが、あのお姉さんに再び会うことはないだろう。ここからスピードを上げれば普賢岳の山頂で追いつけるかもしれないが、せっかく初めて訪れた山なのでゆっくり満喫したい。あのお姉さんはかなり速いから、必ず追いつけるとも限らない。

まあ、しかたない。

周回コースは北東の端まで行くと、南西へ方向転換して普賢岳へ向かう。方向転換するあたりが、平成新山に再接近する場所になる。

雲仙普賢岳の噴火のニュースはいまでも記憶にある。大学を中退して海外へ逃亡する直前だった。

夜の報道番組では噴火の様子がライブ中継され、赤々と燃える火砕流が闇夜の中をゆっくりゆっくりと流れる様子がブラウン管に映し出されていた。ニュースキャスターは心配や不安を口にしているが、放送時間内になんとか火砕流が街に達して欲しいという思いが番組全体から伝わってきた。

そんなテレビを眺めていても、なんの実感もなかった。自分にはまったく関係のない、どこか遠い国の出来事のようだった。もしくは、まるで現実世界の出来事ではないかのように感じられていた。

あの時テレビで見ていた場所にいま来てるというのは不思議な感覚だ。

報道番組は少しづつ進んでいく火砕流を映し続けて終わり、私はまもなく日本を離れたが、雲仙岳はその後も数年にわたって噴火し、甚大な被害をもたらした。そして出来上がったのが、目の前に聳える平成新山だ。

真近に眺めると想像以上に大きい。何もないところからこれが湧き上がってきたとは、地球のパワーに恐れ慄く。

つづく