霧積温泉

角落山からの下山の途中で霧積温泉に立ち寄った。登山ルートから少し外れたところにある、山の中の一軒宿だ。

登山口からだと温泉宿までは徒歩30分、山歩きに慣れていればなんてことないが、日頃から運動不足だと少々キツいかもしれない。いちおう林道もあるが、一般車両は通行禁止である。宿泊客であればお迎えの車を呼ぶことができるが、日帰り入浴だと歩くしかない。

現在は一軒宿の霧積温泉も明治期には温泉街として賑わい、伊藤博文や勝海舟、岡倉天心に与謝野鉄幹、晶子夫妻など錚々たる面々が訪れている。

最盛期には四軒の温泉宿に数十軒の別荘があったというが、明治29年の山津波でそれらすべてが壊滅的な被害を受け、一軒だけ被害を免れた金湯館が今でも営業を続けている。

温泉はとてもぬるい。一度入るとなかなか出られないくらいぬるい。お湯に浸かるとすぐにのぼせて長湯のできない私でも、いつまでも入っていられる温度だ。

湯から上がってくつろいでいると、宿のお爺さんに話しかけられた。

「山に行ってきたのかね?」

はい、そうです。角落山へ。

「上の方はもう紅葉は終わってただろう」

そうですね。すっかり終わってて、このあたりが一番綺麗です。

「今年は色づきが悪くてなぁ」

どこへ行っても年配の方とお話しすると、昔の方が良かったということになる。実際に比較してどうかはともかく、記憶の中の風景は色褪せることがないのだろう。それはひとつの間違いない真実であるはずだ。

霧積温泉に電気が通じたのは昭和56年。それまでは林道もなく、物資は歩荷で運んでいた。

そんな時代に旅してみたかった。

2022年11月