裏銀座の五日間 day5

3時起床、4時出発。

最終日も、北アルプス縦走対策で立てたタイムスケジュール通りに行動する。下山だけなので急ぐこともないのだが、なんといってもビールに餃子だ。うっかりランチタイム過ぎに到着して途方にくれるなんてことのないよう、万全の計画で臨みたい。

この日も雲は多めで朝焼けは期待できそうもなかった。しばらく空を眺めていたが、日の出を待たずに歩き始める。

なかなか急な下りだ。濡れた木の根がやたらと滑る。最後の最後で怪我もしたくないので慎重に降りる。しかしあまり時間はかけたくない。慎重かつ急いで下る。

七倉尾根は長く、歩いても歩いても先は長い。いや、まだ二時間しか歩いてないか。四時間もあれば下山できるので、たいした距離でもないはずなのだが、早く降りたいと気持ちが前のめりなせいだろう。このペースなら、じゅうぶん早い時間に下山できるはずだと思いなおす。

それからも慎重かつ大胆に下山を続け、もういいかげん終わりにしろよと思い始めたころ、木々の向こうにちらりと舗装路が見えた。ゴールはすぐそこだ。

最後の数十メートルを歩き、高瀬ダムへ続く舗装路に出た。

着いた。終わったな。

登山の終わりがどこにあるのかは、人それぞれである。山行ごとにも違うかもしれない。登山の終わりとは、下山口に着いて超えてきた山々を仰ぎ見たときなのか、駐車場に停めてある車に乗り込んだときなのか、温泉で山の汗を流したときなのか、反省会と称する飲み会の乾杯なのか、無事に帰宅して布団に入る瞬間なのか。

自分の場合は、舗装路に出た時がひとつの山行の終わりであるようだ。あるいは未舗装の林道であっても、車が入れる道へ出た時。神々の世界から獣の地を抜けて、人の世にもどってきた時だ。

よし、着いた。

登山の終わりには、やり切ったなという感覚が湧いてくる。ときに困難な山行や長期間の縦走のあとだと、自然にガッツポーズも出る。

達成感…登山でそれを感じるのは、この瞬間かもしれない。

七倉ゲートの監視員に手招きされたので、そちらへ歩いていく。なにか問題でもあるのかと思ったが、そうではなかった。本日一人目の下山者と話をしてみようとしただけであった。

「どこ登ってきたの?」

新穂高からここまで

こう答えたときの、相手のちょっと引いた感じが楽しい。

「おぉ!何日かかった?」

五日目です

その後も登山道の状況や山の天気を話し、数日前に七倉尾根であったという死亡事故のことを聞いた。

「どっから来たの?」

東京から。今日はこれから東京へ帰って、明日から仕事

「ははは…」

半分呆れた笑いである。この答えがウケるのは、ここまでの山行中の会話で実証済みだ。五日間の休みをすべて山に費やすのは、どうやら一般的ではないらしい。

「まあ、風呂でも入ってゆっくりしてって」

ここで風呂に入りたいのはやまやまだが、まだ歩かなければならない。七倉からはバスはなく、タクシーに乗るほど裕福でもない。信濃大町まで16キロあるが、10キロ地点でバスがつかまえられるはずだ。バス停のすぐ近くに温泉があるのは、以前に来たときに確認している。温泉のあとはビールに餃子が待っている。

それじゃあ

そう言って、ゆっくりと歩き始めた。

山は終わったが、旅はまだあと少しつづく。