過ぎし日の栄華も今は昔 – 稲荷山
現在の稲荷山は、千曲川流域の寂れた小さな町であるが、江戸時代には善光寺西街道で最も大きな宿場町であり、明治期には絹織物の取り扱いで北信最大の商都であったという。
古くから栄えた町にはありがちだが、鉄道を拒否したために駅が町から離れて建設され、その後の発展から取り残されてしまった。
現代的な住宅に立て替えられたり、空き地になっている部分も多いが、往時を偲ばせる民家も点在している。しかしながら、住む人も無いのだろう、荒廃が進んでいてうら寂しさが増すばかりだ。
そんな廃墟のような建物群の中で、八つの蔵があるという呉服商の館は現役で住居として使用されており、威厳のある姿を保持していた。
町の北角には、かつて料亭があった。その瀟洒な建物からは、三味線の音が絶えることがなかったという。しかし今では、手入れもされずに古ぼけて、朽ちていくのを待つばかりであった。
かつて栄えた地方の町が、寂れ果てた姿を晒しているのを目にするたびに思う、果たして日本は豊かになったのだろうかと。
稲荷山は数年前に重要伝統的建造物群保存地区に指定された。今後は建築物の補修や景観に配慮した町並みづくりがなされていくのかもしれない。しかしそれは、生き生きとした過去の栄華とはかけ離れた、多分に作り物めいた町並みとなるであろう。
そんな町もまた、たくさん見てきたのである。
2022年8月