登山とは何か、あるいは現代登山の行き着く先 – お天狗山

早朝の街はまだ眠りから目覚めていない。進む先には山が見える。今日はあの山に登るのだ。

所用で群馬に来た翌日、天気も良いのでひと山登ってから帰ろうと、甘楽町小幡まで来た。街の中心部に車を停めて、城下町の町並みを歩いて抜ける。

これから登る山を正面に見て、そこへ向かって歩いていく。この時間が好きだ。昔の山登りはこうだったんだよなあと感慨に耽る。移動手段が徒歩しかなかった時代は、峠を超えて山向こうの集落へ行くにせよ、信仰の山へ登るにせよ、山を眺め山に向かって歩いたのだ。

昭和の登山だって、現代ほどイージーではなかった。当時の登山ガイド本には、登山口まで駅から徒歩7時間なんて表記もあったものだ。大きな山に登るのは、登山口で一泊するのが当然だった。それが今では、山域の奥深くや高山の中腹まで自動車で行けてしまう。現代的な軽量装備で快調に飛ばし、日帰りでピークを踏んで帰ってくることもできる。

近代化と効率化で、人類はより多くの時間を得ることになった。現代人は、野生動物のように食物を探して一日を費やす必要はない。余った時間を埋めるためには、さまざまな娯楽が用意されている。

時間を手に入れた現代人は、より多くの娯楽のためにあくせく働く。そして、遊ぶための十分なお金がないと嘆いたり、お金を稼ぐために時間を取られ過ぎていると不満を表したりする。余裕があるはずなのに余裕がない。のんびり生きることもできずに、みんなが切羽詰まっている。そんな時代だ。

なにかが狂ってるような気がしてならない。

平坦だった道路は山道になり、上へ上へと登っていく。舗装路は終わりダートになったが、それでも車道は続いている。

どこまで行くんだろうと訝しんでいると、車道はなんと山頂直下まで続いていた。ここまで車で登れてしまうのか…。広々としたスペースもあるから、車も停め放題だ。

そこからは10分足らずで山頂だった。

車で山頂直下まで登り、10分足らずでピークを踏んで帰って来るのが、現代的で効率の良い登山なのだろうか。

それは、五合目まで車で登る富士登山や、リフトで標高を稼ぐ北アルプスとはどう違うのだろうか。将来的にドローンで自分の体を山頂直下まで運べるようになったとしたら、それは中腹の登山口まで自家用車で登るのとどう違うのだろうか。

考えれば考えるほど、登山とは何かわからなくなってくる。

山を眺め山に向かって歩く時間のない登山は虚しい。

手に入れた時間を、ぼくらはいったい何に使っているのだろう。

より速く、より多くを求めた先には、いったい何が待っているのだろう。

2022年3月