耐えキャン△ in 笠取山

テントの設営を終え、コーヒーを淹れようとした時、事件は起こった。

テント泊でのんびりしようと笠取山に来た。笠取小屋なら登山口から2時間足らずで着くから、少々荷物が重くても問題ない。たっぷりの食材とアルコール類を用意した。昼間から飲んでもいいのだが、それよりはリンちゃんを真似て読書キャンプをしようと、本と椅子も担いでいくことにした。

お昼過ぎに到着し、誰もいないテント場にテントを張った。テントの横に椅子を設え、深く腰を下ろして本を読み始めたが、そうだそうだコーヒー飲みながら優雅に読書だと、まずはコーヒーを淹れようとしたのだった。

ガソリンストーブを持ち出し、ポンピングして圧力を加える。シュポシュポシュポと圧をかけているとき、突然ポンプノブがすっぽ抜けてしまった。ノブを差し直しても、以後はスカスカでまったく力が入らない。

分解したところ、どうやら内部のパッキンが外れてしまったようだ。しかしそのパッキンが見当たらない。底に落ちたかもとライトで内部を照らしてみたが、どうにも見つからない。予備パッキンを用意してあるような周到さは持ち合わせていない。

さて、どうするか。火が起こせないとなると、コーヒーが飲めないばかりでなく、夕飯も作れない。諦めて下山するのが常識的な判断かもしれないが、たったいま張り終えたばかりのテントを撤収するのは気が進まない。さっきまで登っていた登山道をとぼとぼ下ると思うとうんざりする。枯れ枝を集めてガソリンを撒けば焚火を起こせなくもないけど、さすがに直火はまずいだろう。緊急ビバークならしかたないかもしれないが、緊急でもなんでもないし、ここは小屋のテント場である。

調理しなくても食べられる食料を数えてみた。先週のテント泊でまったく手をつけなかった行動食がザックに入れっぱなしになっている。そのことを忘れて今回も行動食を用意したから、お菓子類は豊富だ。生肉はさすがに食べられないが、野菜やチーズなら酒の肴になる。お腹が空いたらインスタントラーメンをボリボリ齧ったっていい。

いけるな。ひと晩くらいなら耐えられるだろう。いざとなったら飲まず食わずでも下山できる場所だから安全圏内だ。

こうして、ゆるキャンのつもりで来たのに、耐えキャンになってしまったのであった。

その後も、なんとか火を付けようとガソリンストーブと格闘してるうちに、日が傾いてきた。

ちょっくら歩いてくるか。小さな分水嶺まで行ってみよう。あそこなら小屋からすぐだし、見晴らしも良い。

小さな分水嶺は名前の通りの小さなピークだ。ここに降った雨は東は荒川へ、西は富士川へ、南は多摩川へと流れ至る。毎度ここに来ると、この山頂で立ちションしたら…と浪漫を感じるが、いまだ試したことはない。

夕暮れの日の光が、笠取山の西面を染めていく。防火帯を兼ねた幅広い登山道が一直線に山頂へと向かっている。南には富士山、西には奥秩父の山々。夕暮れの空はオレンジ色から濃い藍色へと移り変わっていく。明日も快晴だ。

陽が落ちて急に冷えてきた。テントへもどろう。

夕飯は、切っただけのキャベツと、切っただけのタマネギと、とろけていないとろけるチーズと、インスタントラーメンの具にするつもりだった味付けメンマを肴にして焼酎を飲んだ。

翌朝、夜明け前から起き出して出発だ。せっかくなので山頂にも登っておく。カメラを首にかけ、お菓子をポケットに突っ込んだ。2時間ほどでもどってくるから、これで十分だろう。

昨日は眺めていただけの登山道を、今日は登っていく。朝の空気は清涼で、富士山がくっきり見えている。周囲には誰もいない。

山頂からさらに先へ進み、最高点を通過して反対側へ降りた。ここから巻道でもどる。

多摩川の最初の一滴が滴る水干も、いまは冬枯れしていた。日当たりの良い場所に腰掛けて、ポケットから薄焼せんべいを取り出した。景色をぼんやり眺めつつ、せんべいをパリパリと齧り、たったひとりの山を満喫した。

寒くてひもじい思いもしたけれど、楽しい山だった。計画通りにはいかないところに旅の醍醐味はある。

あとはテント場へもどって撤収するだけだ。下山したらなにか温かいものを食べよう。

2021年2月