ひとりの山は深い – ナットウ箱山 / 達沢山

だれにも会わない山は楽しい。道が適度に荒れていると、さらに楽しい。道がなかったら、それもそれで楽しいけど、それはちょっと別の楽しみになるから、適度に荒れてるくらいがちょうどいい。

連休最終日の混雑を避け、遊び過ぎて疲れた体と相談し、適度に楽しめて適度な距離のところということで、笹子峠から達沢山まで行くことにした。
おそらくほとんど人に会わないだろう。道も整備されすぎてないはずだ。

早朝の光の中をたんたんと歩く。歩いているとだんだん自分と周囲の世界が同化してくる。肉体の内と外を隔てる境界線が曖昧になり、魂が溶け出すような感覚。力を入れず意識もせず、それでも自然と足が動く、あの一体感。

こんなところを歩いていると、すぐにあの感覚がやってくる。わかるひとにはわかってもらえるあの感覚が。

展望はほとんどない。たまに木々の切れ間から歩く先の山並みが見えたり、枯れ枝の向こうに富士山の先っぽが見えたりするだけだ。

でもそんなことは重要じゃない。大切なのはこの感覚。この一体感を得るために、なんどもなんども山に登るのだと言ってまちがいない。

地図で発見してからずっと気になっていたナットウ箱山にも来ることができた。

変わった名前の場所には行ってみたくなる。大マテイ山とかフルコンバとかノーメダワとかハマイバ丸とかセーメーバンとか。
たいていはなんの変哲もない場所だったりするけども、そんなことはたいした問題じゃない。やっぱり気になるところはどんなとこだか見てみたい。それに地名の語源を探求するのも楽しい。

ナットウ箱山からさらに先へ進むと達沢山に到着する。

一部だけ樹林帯が切れていてわずかな展望があるが、富士山の方角は木々で隠されて見えない。あえて伐採して展望をよくしないこんなところも、なんだかいいなと思ったりする。

距離も短いのでトレーニングも兼ねて、食材いろいろに調理器具も担いできた。

ゆっくり食事してゆっくり休んだら、来た道を帰ろう。