深い山 – 袈裟丸山

登山道は狭く、人ひとり分の幅しかない。両側に密生したシャクナゲが、枝を自由に伸ばして登山道を覆っている。その枝をかき分けかき分け進んでいく。

これは時間がかかりそうだ。

ここまで来るのも、なかなかたいへんであった。

林道は登山口の手前6km地点で崩落して通行止めになっていて、車を停めて1時間以上歩いた。登山口からは登らず、手前の沢から前袈裟丸山を目指した。いくつかに枝分かれしていく支沢の中で、正しい沢を探して遡った。尾根に乗ってしまえば一本道だが、そこは登山道ではない。薄い踏跡を辿り、笹原を突っ切って進んだ。

前袈裟丸山に到着したときには、出発から3時間以上が経過していた。

前袈裟丸山から後袈裟丸山へは、公式には通行止めである。鞍部の八反張の崩落が進行しているためだ。どんな状況になっているかは、行ってみるまでわからない。通行止め区間を通過するのは、なにかあったときのことを想像すると緊張する。

八反張の崩落区間は短い距離で、ロープも張ってあるのでなんとか通れそうだった。とはいえ、足を滑らすと谷底まで落ちてしまいそうだ。慎重に通過した。

後袈裟丸山で一般ルートに合流したのだが、後袈裟丸山から先の登山道は、しばらく人の手が入ってないようで荒れ気味であった。

そうして、繁茂したシャクナゲをかき分けながら進んでいるのだ。

すぐ近くに見えてた中袈裟丸山には、想定よりだいぶ遅れて到着した。疲れも溜まってきたようだ。

中袈裟丸山を過ぎると、荒れ具合が一段上がった。依然としてシャクナゲの藪を進む。藪と言っても足元には踏跡があるので、身動きが取れなくなるようなものではない。とはいえウザいには変わりないし、スピードも出ない。展望なんてまったくない。今日は朝から誰とも出会っていない。山と自分との一対一の対話が続く。

鞍部では獣道が錯綜していた。歩きやすそうな道を選ぶと、トラバースしてあらぬ方向へ向かってしまう。人と獣の行き先は違う。崩れかけた斜面に取り付いてよじ登った。

ここを歩くのは、人よりも獣のほうが多いのだろう。人の踏跡はは薄いが、獣道ははっきりしている。尾根の分岐点でうっかり進むと、間違った尾根へと入っていくことになる。何度も立ち止まって、確認しながら進んだ。

急登を登り切り平坦になったので、そろそろ山頂だろうが、どこなのかはっきりしないままに進んだ。もう通り過ぎてしまったかなと思ったころ、奥袈裟丸山の山名板を見つけた。

奥袈裟丸山の標高は1958mで、前袈裟丸山の1878m、後袈裟丸山の1908m、中袈裟丸山の1903mより高いが、ここが最高地点ではない。標高1961mの最高地点はさらに先だ。もちろん行く。

藪はいっそう濃くなり、踏跡はほとんど消えかかっている。奥へ進めば進むほど、山は深くなっていく。

藪に阻まれて歩みは遅い。奥袈裟丸山から最高点まではいったん下って登り返す。短い距離だが時間はかかる。

前袈裟丸山、後袈裟丸山、中袈裟丸山、奥袈裟丸山と、ここまでのピークには名前が付いていたが、最高点はただの最高点である。袈裟丸山最高点、特に名前はない。シャクナゲの藪に囲まれた、展望もない小さなスペースだ。この山域で最も標高の高い地点だという以外には、来るべき理由の見当たらない場所かもしれない。だが、それがいい。ここにはめいっぱいの充実感がある。こんなところまで苦労して歩いて来る理由は明白だ。世界のすべてを五感で感じたいからだ。生きているという実感がここにはある。

道はまだ先へと続く。ここからは、さらに山が深くなる。法師岳から六林班峠を経て皇海山まで、皇海山を超えて奥白根まで行くこともできる。行ってみたい気持ちでいっぱいだが、今日はここまでだ。

さて、またあの藪の道を歩いてもどるか。後袈裟丸山までもどれば、あとは一般ルートで降りるから気が楽だ。

下山まで、まだたっぷり山を感じることができる。

2020年10月