「なんとなく」の効用 – 竜ヶ岳

顔を上げると、目の前に広がる笹原を包み込む青い空。

あー、失敗したかな~

なんとなく天気があまり良くなさそうな気がして、なんとなく高い山はやめにして、近場で低めの山に変更してきたのだ。

左手にはずっと富士山が見えている。たいして雪もないし、なんだかあそこにだって登れちゃいそうな天気だ。

失敗したかな…。

前方の天子山地も、後方の御坂山地も、くっきり見えている。南アルプスもばっちりだ。こっちからあっちが見えるということは、あっちからこっちも、周りの山々も見えてるはずだ。

あー、失敗したな~

天気予報はそんなに悪くはなかった。風は強そうだったけど、雲はそれほど多くはなさそうだった。だけど、なんとなく高い山に行く気がしなくて、なんとなく天気が悪そうだなってことにして、標高1485mの竜ヶ岳にしておいたのだ。

あー、失敗…いや、違うな。

なんとなくやめておこうと思ったときは、やめることにしている。それでいい、それがいい。なんとなく…という感覚は大切にしておいたほうがいい。なんとなくというのは、直感とか第六感とかそういうやつだ。野生の感覚と言いかえてもよい。

人間は、そんなに多くのことを言語を用いて思考しているわけではない。これこれこうでこうだからこうである、なんて思考回路であらゆることを判断しているわけではない。言葉では説明できないけど、なんとなくイヤだなとか、なんとなく気が進まないなとか、なんとなくいけ好かない奴だななんて感じるのはよくあることだ。

なぜそう感じたのか、その理由はいくつもあるのだろう。だが、それを言葉にしてみると、その瞬間になんだか違うような気がするのもよくあることだ。

人は、思ってるよりずっと多くのことを、周囲の状況から感じ取っているのだろう。

言葉にできないからといって、それが劣った思考であるということもない。だいたい、野生動物は言葉で表現できる思考なんてなくても、危険を察知して人間よりずっと上手く対応している。

それにしてもいい天気だ。八ヶ岳か南アルプスにでも行っておけば…いや、もうやめておこう。

ここだって、天気悪いときに登るより、天気いい日に登ったほうが良いわけだし。

山頂まで登ると、その向こうには、毛無山から雨ヶ岳への稜線が聳えていた。

何年か前の冬に歩いて、その手強さにヘロヘロになって通過した稜線だ。いま歩いたらどうなんだろう。いま見ると、記憶よりずっと距離は短そうだし、意外と楽勝なのかもしれないな。

でも、まあ、今日はあそこまでは登らずに端足峠から本栖湖に降りる。

何年か前に向う側から端足峠へ降りたときは、そこまでで時間がかかり過ぎて、竜ヶ岳には登れずに下山したのだ。今回は、そのとき歩けなかった竜ヶ岳と端足峠の間をつないでおくだけでいい。なんとなく今日は、雨ヶ岳まで登る気がしないのだ。

まあ、そんなガツガツ歩かなくてもいいでしょ。のんびり行きましょう。それに、雨ヶ岳への登りはキツい急登だしね。

本栖湖へ下り、雪の積もった湖畔をのんびり歩いて、駐車場までもどった。