浜名湖の周りをぐるっと歩いてみる – 湖西連峰

この一年ほど、名古屋へ出かける用事がちょいちょいあって、そのたびに通過する浜名湖周りの山々がいつ見てもなんだかいい感じだった。どれもこれもたいして高くない山だけど、のどかな風景の奥にぽこぽこと連なる山々はとても可愛らしい。

今回もまた名古屋で野暮用を済ませた帰り、新所原駅に車を停めて湖西連峰に登ってみることにした。

湖西連峰はハイキングコースとしてメジャーなようで、登山道はかなり整備されていた。整備されすぎじゃない?と思わなくもないけれど、気軽に歩くにはこれくらいがいいのかもしれない。

稜線は明るく、景色はとてもいい。どこからでも浜名湖が望める。

うん、海が見えるっていいな。

駅から2時間、登山口からは1時間ちょっとで神石山に着いた。

見晴らしよく雰囲気よく、なかなかよい山頂だ。のんびり過ごすにはうってつけの場所じゃないか。

しばらくのんびりしたけれど、まだ朝の8時半なので先へ進む。稜線を行けるとこまで行ってみよう。

登って下って登って下って、いくつものピークといつくもの峠を越えて進む。とは言っても基本的になだらかで、息を切らして登るようなことはない。

湖西連峰ハイキングコースを歩いていたつもりが、いつのまにか豊橋自然歩道となっていた。この稜線は三河と遠江の国境線でもあるのだ。

この稜線にはいろんなところから上がってこれるようで、分岐がやたらと多い。うっかりすると間違えて下山してしまうが、道標はきちんとあるので確認すれば問題ない。確認せずにうっかり下山しそうになったが、さすがに下り過ぎだったので途中で気づいて事なきを得た。

景色はいいんだけどいつでもだいたい同じ眺めで、登山道も地味だからだんだん飽きてくる。岩に登って海を見たり、平安時代の山岳寺院跡で在りし日に想いを馳せたりというイベントをこなしつつ、地味な稜線を歩き続けた。

ここまでずっと閑散としてたのに急に人が増えて、なぜだかみんなが登ってる岩があった。意味不明に混雑してる岩の上はパスしたけれど、それが富士見岩という有名なやつだったと後から知った。おそらく、いやまちがいなく、岩の上からの眺めは微妙だろう。たぶん、いや絶対に、富士山がチラッと見えるだけだろう。そうだそうだ、そうに違いないと思うけど、気になるからやっぱり登っておけばよかった。

富士見岩を過ぎると、それまで明るかった登山道が鬱蒼とした森に包まれ始めた。ここまでとはがらっと変わって空気が神聖になったなと感じたら、神様が祀られていた。

山を歩いていると様々な感情が浮かぶ。怖れ、不安、畏敬、感謝、開放感…。

なんだろう、土地から受ける自然な感情と古の人々のその土地への思いの、偶然とするには出来過ぎなこの一致は。なにかその場が発する波動のようなものが、共通の感情を人類に呼び起こすのだろうか。この世界は、まだまだ分からないことばかりだ。

本坂峠に下り、坊ヶ峰に登り、中山峠へ下り、そろそろ終わりを決めなければならない時間になってきた。

地図を確認し、宇利峠まで行くことにした。あわよくば浜名湖一周と考えていたけど、とてもとても。3分の1周で終わりそうだ。

ここでも稜線からは浜名湖がちらちら望める。見えててくれてありがとう。見えると見えないではまったく違うからな。

ひと気のない暗い登山道を進み、舗装路に出て山歩きは終わった。

まだここから、湖畔の駅まで歩かねばならない。

のどかなのどかな、のどかとしか言いようのない風景の中を歩いていく。下山して里を歩くこの時間は、至福のひとときでもある。なんとも幸せな気持ちに浸れるのだ。穏やかで優しくて、安心感とか充実感とか、そんなものがごちゃっと混ざった気持ち。

川を渡って三ヶ日の市街地に入り、三ヶ日キャラクターの三ヶ日ミカちゃん溢れる街を抜け、木造の駅舎から、一時間に一本しかない一両編成の電車に乗って、車を停めた駅までもどった。