尾去沢鉱山
かつて日本は資源国だった。金銀銅を豊富に産出し、黄金の島ジパングの噂は西洋にまで伝わった。黒いダイヤと言われた石炭は、明治の近代化や戦後の復興に貢献した。
だが、資源の枯渇や安価な海外産に押されて国内の鉱業は衰退し、エネルギーの主役が石炭から石油に置き換わったことが決定打となって、日本は資源小国となってしまった。

秋田県北部は、日本有数の鉱山地帯のひとつである。その中でも最大最古の鉱山が尾去沢鉱山だ。
尾去沢鉱山が発見されたのは、なんと和銅元年(708年)だという。尾去沢で採掘された金は、東大寺の大仏や中尊寺金色堂の建立にも使われたと言い伝えられている。豊富に産出した銅は、近代の殖産興業に大いに貢献した。

鉱山には多くの労働者が集まり、街は活況を呈した。銀座に次いで国内で二番目にガス灯が灯ったのは尾去沢だったという。映画館や厚生施設も建設された。最盛期には4千人以上が鉱山で働き、街の住人は4500人に及んだ。
そんな尾去沢鉱山も、鉱石の枯渇と銅価格の低迷により、1978年に閉山した。その間、1270年間も第一線の鉱山として活躍してきたことになる。
閉山4年後の1982年に、観光鉱山として再出発した。一周1.4kmの坑道が観光コースとして整備されている。

坑道というのは洞窟のようなものだと思っていたが、実際は少々違った。
坑道の途中で上下に立坑を掘り、床あるいは天井部を残して再び横に掘り進んでいる。つまり坑道の上にも下にも、同じような坑道が通じているのだ。その数は15段にもなる。つまり15階建てのビルを山中に掘っているようなものなのだ。ひとつのフロアの高さは30mだというから、その高さは450mにもなる。東京タワーよりずっと高く、スカイツリーに迫る高さの巨大ビルなのだ。

観光坑道は10段目、つまり下には9段の坑道があり、上にも5段の坑道がある。残念ながら見学できるのは地上階に当たる10段目の一部だけだ。
坑道の総延長は800kmにも及ぶ。15階で単純に割っても、ワンフロアあたり50km以上。一周1.4kmの観光坑道なんて、全体のほんのわずかに過ぎない。

江戸時代の採掘跡も残っている。明治以降はダイナマイトを使用したが、江戸時代は完全人力の手掘りだ。その採掘跡は、人ひとりが匍匐前進で進むのがやっとの、狭くて細長い穴だった。狭いところに閉じ込められるのが苦手な私は、採掘の様子を想像しただけで気分が悪くなってきた。
古くは奥州藤原氏の繁栄を支え、江戸時代には盛岡藩の経済基盤となり、明治の近代化や戦後の復興に貢献し、閉山後には観光資源として活躍した尾去沢鉱山も、2026年3月をもって一般公開を終了した。


