夏の終わりの千葉の海で穴子を食べて雨降る山に登り、郷土博物館を見学した日
夏の終わりに海を眺めたかったというセンチメンタルな理由がなかったわけではない。が、しかし、先週は埼玉だったから今週は千葉へ、先週は山だったから今週は海へ、そんなどうでもいい理由で内房の富津に来た。人生の選択なんて、たいていはそんなどうでもいい理由でなされるものだ。
夏の終わりの海は物悲しい。雲の多い空が物悲しさをさらに増す。肌寒い日で、泳いでる人なんていない。数人が砂浜をとぼとぼと散歩しているだけだ。
あぁ、今年も海水浴はしなかったなあ。スイカ割りも花火もしなかった。もう何年してないんだろう。ビキニのかわい子ちゃんと夏の海をエンジョイする日なんて、もう二度と訪れないのだろうか。
夏の終わりの物悲しさに感染する前に、そそくさと引き上げて海の前の寿司屋に入った。お目当ては穴子だ。富津は穴子が名産なのだ。そして私は穴子が大好きなのだ。
黒い穴子丼と白い穴子丼
穴子を食べるなら夏に限る。旬は6月から8月くらい。まあ、お店では一年中提供されてるだろうし、冷凍物だろうが海外産だろうが食べてもわからないに違いないけど、そこは気分の問題である。
富津では穴子のことを「はかりめ」という。『いそね』というそのお店では、はかりめ二色丼というのが売りのようだったのでそれにした。
黒と白の二色のはかりめ丼が目の前に置かれた。まずは黒い方を食べてみる。見た目でなんとなく味の想像がつくが、想像したよりずっと上品だった。タレにくどさはなくてほのかに香ばしく、穴子は当然のように絶品で、舌に乗せるととろりと溶ける。タレの香りが鼻腔に抜け、口中に穴子の旨みが残る。
白い方はそれ以上に素晴らしかった。塩とレモンでほんのり味付けされた穴子を大葉や白ゴマとともに酢飯で食べる。初めての味だ。シンプルな味付けが穴子の旨さを引き立てている。夢中になって食べた。
次回は白いのだけを満足いくまで食べたいと思いメニューを見たが、黒いのだけの丼はあっても白いのだけの丼はなかった。頼めばやってくれるだろうか。
5分で山頂、はたしてこれは登山と言えるのか問題
海を眺めるとまた寂しくなるので山に向かうことにした。現在地近くの登山に良さげな山を示してくれるアプリで近くの山を探す。
鹿野山というのが最も近かったのでそこにした。どんな山でどんな登山道なのかまでは分からないが、それは行ってのお楽しみだ。日本の山岳標高一覧1003山、2019年版の関東百名山、日本百霊山に含まれてるとあるので、そんなおかしな山ではないだろう。
案内板にしたがって車を走らせる。車はどんどん標高を上げていき、街を離れて山に入った。まだまだ登っていく。どこまで登るんだろうと訝しんでるうちに展望公園の駐車場に到着した。
展望公園の標高は318mだった。鹿野山の標高が379mだから、標高差は61mしかない。これはもうほぼ山頂まで車で登ってしまったということではないか…。
とにかく来たんだから登るかと思うものの、なかなか車から出る気になれない。なぜならけっこうな雨が降っていたからだ。山に登るつもりはなかったので雨具も持ってきていない。展望公園なので展望はいいはずだが、フロントガラスの向こうの景色はガスで煙っている。見えない展望を眺めて過ごす。虚無だ。
小降りになってきたところで傘を差して歩き始めた。駐車場のすぐ隣の神社が登山口のようだった。山頂は神社の裏山である。お参りしてから登山口を探して境内をうろうろし、看板もなにもなかったが道がひとつしか見つからなかったのでそれを登ることにした。
なんだか気味の悪い道だ。道幅は狭く、両側に植物が密生している。雨に濡れて怪しい緑色の植物たちが、腕や顔をぬらりと撫でる。しばらく誰も歩いてないようで、蜘蛛の巣がやたらと多い。巨大な蜘蛛が獲物を待ち受けている。蜘蛛の巣は登山道を横切るように張られているので、しかたなく振り払いながら進む。
うー、気持ち悪い…とつぶやきながら5分も登ると畳三畳ほどのスペースに出た。大きな岩が中央にあり、それがこの空間のほとんどを占めている。残されたのは密生植物との間のわずかな隙間だけだ。
ここが山頂?ぜんぜん山頂らしくないけど。ていうか、この先の方が明らかに標高が高い。道はここで終わってるっぽいので、先に進むには密生した植物をかき分けていかねばならない。雨の日にやることじゃないな、いや晴れた日でもやりたくない。
大岩と密生植物の間の隙間をぐるっと回ってみる。山名板が枝にかけられているのを発見した。よしよし、ここが山頂でもういいよ。
さっさと下山した。登山時間は15分足らずだった。これは登山と呼べるのだろうか?いったい登山とはどのように定義すべき行為なのだろう。
袖ヶ浦の歴史に詳しくなる
夕食までの時間をつぶすつもりが大幅にあまってしまったので、袖ヶ浦の郷土博物館へ行ってみることにした。ここに太巻き寿司の資料があると聞いて、以前から行ってみたいと思っていたのだ。
房総の太巻き寿司というのは、お祝いやおもてなしに各地で作られていた巻き寿司で、切り分けると断面が絵になっている。簡単に言えば、金太郎飴の巻き寿司バージョンだ。各家庭で独自の絵柄が伝えられていたが、時代とともに作られる機会も減ってしまった。しかし保存継承活動も行われており、新しい絵柄も様々に考案されている。太巻き寿司教室が開催されていたり、道の駅などで売られているのを見ることもある。
袖ヶ浦郷土博物館は閑散としていた。昭和の公共施設っぽさ全開のくすんだ建物に入ると、受付にやる気のないおばちゃんが座っているだけで他に訪問者がいるようでもなかった。まあ予想通りだ。
展示は袖ヶ浦の歴史から始まる。戦時中の様子や鉄道の開通から、埋立地と工業化、街道町として賑わった時代、海辺の集落として形成された時代へと時を遡っていく構成だった。そして最後は先史時代、土器の破片が展示されている。あれ?太巻き寿司はどこ行った?
二階には房総で開発された井戸掘りの技術だとか、どこかの貝塚だとかの資料室があったが、そんなところに太巻き寿司があるわけもない。
途方に暮れていると、出口近くに「人の一生」という部屋があった。人の一生に訪れる節目の儀礼や生活の変化の展示だという。これだ、もうこれしかない。
そこには、人の一生で訪れる節目の食事が精巧な食品サンプルで展示されていた。最初はお食い初めの祝膳、焼魚に赤飯に豆腐のお吸い物。おやおや?太巻き寿司はないのか?さすがにお食い初めでは食べないのかな。
次が節供の祝膳。あったあった太巻き寿司があった。祝膳の左奥、メインの料理ではないが、祝膳の一部だ。ふーん、こういう食べられ方をしてたんだ。
その後も、七五三、祝言、葬儀と続き、そのたびに太巻き寿司は登場する。というか、どれもあまり変わらない食事だ。まあ、昔の食事なんて土地のものを食材にしてるのだからそうだよね。
常に太巻き寿司とセットになっている押し寿司らしき食べ物も気になった。解説をご希望の方はお声がけくださいとの掲示があったが、残念ながらお声がけすべき人物が見当たらない。いまのところここまで、やる気のなさそうな受付のおばちゃんしか見ていない。まあ、あのおばちゃんもおそらく地元の人だろうから、帰りに訊ねてみるか。
帰り際、受付のおばちゃんは掃除のおっちゃんと楽しそうに会話してたので、そのまま出てきてしまった。
そして旅はつづく
もしも食堂なんかあったら、せめて売店でもあったら、そこで太巻き寿司が食べられるか買えるかしないかなと考えていたのだが、そんなものはなにもなかった。こんなに閑散とした施設なんだから、当然と言えば当然だ。
口が太巻き寿司になってしまったので、その後は何十キロも車を走らせて二軒の道の駅を回ったが、閉店間際の道の駅では弁当類はほとんど売り切れで、太巻き寿司なんてどこにもなかった。
あきらめてラーメンを食べて帰った。
2024年8月
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