三日間だけの友へ
長い登り坂はただつらいだけじゃない。登り切った者には必ず、見たことのない景色を見せてくれる。
鞍部のテント場から長い登り坂を登り切ったぼくの目に、初めて目にする深い山並みが飛び込んできた。ここまでの縦走の間に眺めてきた風景とはガラリと変わって新鮮である。
すごいな…。思わず声に出してつぶやいていた。
「すごいですね!」背後から声がした。S君だ。
同じようなペースで抜きつ抜かれつの縦走をしてきて、昨夜もその前の晩もテント場でいっしょになり、自然と言葉を交わすようになった青年である。
「かっこいいなあ」S君がしみじみと言う。
あの山に登りたいね。
そのとき二人は同じ山を見ていた。
「登りましょうよ!」唐突にS君が言った。
「来年登りましょう。今日みたいな晴天の日に!」
よし、行こう。来年の晴れた日に。
そういえばこの時は、まだS君の名前も知らなかった。旅先でたまたま出会い、いくらかの言葉を交わしただけの相手とのあいまいな約束である。こういう約束はたいていその場限りなものだ。
しかしこの時ぼくの目には、真っ青な空の下、あの山の頂に立つ二人の姿が、はっきりと見えていた。
東京に帰って数日後、S君からメールがきた。
が、しかし、そのメールの差出人はS君ではなかった。それは、バイクの事故でS君が帰らぬ人となったことを知らせる、御両親からのメールであった。
あっけないな。
たった三日間同じルートを歩いていただけの仲である。それほど多くを語り合ったわけでもない。なのになぜか十数年来の友人を失ったような気分だった。
よし、行こう。行ってくるよ。
どこまでも見渡せる快晴の日に、あの山の頂に立ってくる。そしてあの山の向こう側の景色を見てくる。
それまで待っててくれ。そう固く心に誓った。
それが去年の夏のできごとである。
しかるに今年のこの天気だ。
満を持して挑んだ今年の夏山シーズンだったが、来る日も来る日も天気予報を見てはため息をつくばかり。ラストチャンスの今週末も、どうやら晴天は望めないようだ。
すまんな。約束守れなさそうだよ。
こんな時、S君だったらなんて言うだろう。
そういえばS君の墓参りもしていない。御両親とも数回のメールのやり取りのあとはそれっきりだ。
行ってこようかな。どうせ今週末も天気はよくないんだし。
この一年間に登った山の報告をしなくちゃ。
行ってこよう。ぼくが生まれ育った町のすぐ近くのS君の家まで。
その時、君はどんな顔をして迎えてくれるだろうか。