信じる力 – 奥甘利山

左膝の内側の筋だか骨だか関節だかに、昨年の夏から違和感があった。それがここにきて、ひどく痛むようになってしまった。最近のハードな山で酷使したせいだろう。痛みはどんどんひどくなり、普通に歩くのもままならないほどである。いや、自分では普通に歩いてるつもりなのだが、かなり引きずっているようだ。会社でも取引先でも友人にも、会う人会う人に足どうしたの?と訊ねられるしまつである。そしてみなから医者に行くよう強く言われる。

だが、行かない。医者嫌いなのもあるが、この程度ならほっときゃ治る。医者が必ずしも正しいわけでもない。行ってもせいぜいレントゲン撮って、安静にしてくださいって診断されるだけだ。

そう主張するのだが、一般的には受け入れられないようだ。だれもかれもが医者に行けの一点張りである。医者の言葉なら安心するのだろう。でもそんなふうに、大切な判断を盲目的に他人に委ねるのは如何なものかとも思う。

いよいよヤバイと思えば医者にも行くさ。大人になってからも、マラリアと腸チフスと親知らずの抜歯で医者にかかっている。自力ではどうにもならないと判断したからだ。だが、この程度の足の痛みなら医者は必要ない。安静にして、必ず治ると信じて、治るように念じればじゅうぶんだ。

その後も毎日毎日あらゆる方面から医者に行け医者に行けと言われてうんざりした。ここまでくると意地でも行きたくなくなる。まあ、医者に行きたい人は行けばいい。他人の行動に干渉はしない。医者に診てもらって安心できるなら、それでもいい。自分は行きたくないから行かない。行く必要がないから行かない。意志の力で治ると信じている。だから、ほっといてほしい。

笊ヶ岳から下山した次の週末は、ひとりでゆっくりなににも邪魔されずに山の中で過ごす予定であった。が、足の痛みはいまだ引かず、いくらなんでもテント装備は厳しいだろう。日帰りでちょろっと行くよりはと、この週は山は休んで静かに過ごした。

その次の週末、まだまだ痛みはあるが、二週間前に比べればずいぶん良くなった気がする。テントは無理だが日帰りで短い距離を歩いてみよう。

そうして甘利山へやってきた。今回の足の痛みのきっかけになった一ヶ月前の山行でも登った山だ。その時はまだ咲いていなかったツツジがこの日は満開を迎えていて、数多くの登山者で賑わっていた。

駐車場から30分ほどで山頂に着いてしまう。足はまだ本調子ではないけど、登りなら比較的痛みは少ない。さすがにここまででは短すぎるが、あまり先に進んでも、足が痛むと帰りがたいへんだ。遅くの出発だったので、もうお昼である。

「千頭星まで行くの?」

どうしようかと考えてると、山頂にいた登山指導員に話しかけられた。

うーん、どうしよっかな…。

こんな時間に山頂でボーッとして、この先どうするか迷ってる登山者に、指導員も苦笑いであった。千頭星山へは一ヶ月前に登ったこと、その時は鳳凰三山まで行ったことを伝えると、ようやく安心してもらえたようだった。

「それなら奥甘利まで行ってきたら?ヤマツツジも咲いてるよ」

それもいいな。奥甘利までならちょっと下ってちょっと登るだけだ。

そうして、ちょっと下ってちょっと登って、奥甘利山までやって来た。山頂の手前の立派なヤマツツジが満開であった。

さて、どうしよう。まだまだ先へ行きたい気持ちはある。だが、千頭星山まで行ってもどってくるのは、それなりの距離があるしそれなりのアップダウンもある。千頭星山の手前の笹原へ行きたかったが、今回は大人しくここまでにしておくことにした。

足はやはり多少は痛い。下りの着地が最も痛む。とはいえ、二週間前のように足を引きずりながら歩くことはない。着地の時に足裏の外側に力がかかると膝の内側が痛むことに気づいた。もっとまっすぐに親指と人差し指の付け根を中心に真下に足を下ろすほうがいいようだ。歩き方のちょっとしたクセに気づくことができたのだから、この痛みもまったく無駄ではなかった。

帰り道も足の置き方を意識して歩く。ここまではゆっくり歩いてきたが、少しスピードアップしてみる。うん、大丈夫だ。さらにスピードアップする。大丈夫大丈夫。荒れた道で左右にふられると厳しいだろうが、整備された登山道なら問題なしだ。

そんなに遠くないうちに復活できるだろう。

自分の体のことは、自分がいちばんよく知っているのだ。