田舎寿司

江戸時代の握り寿司は今よりずいぶん大きく、現代の寿司の2倍あったという。

浮世絵に描かれた寿司を見てもその大きさがわかる。鮎一匹が丸々寿司ダネになっている絵もあるし、女性向けに二つに切って提供した寿司の写真も残っている。

寿司を手づかみではなく箸で食べるようになったり、女性や子供も外食で寿司を食べるようになったりといった理由で、大正から昭和にかけて寿司の大きさは次第に小さくなり、戦後になって今のサイズに落ち着いた。

江戸前を標榜する東京の寿司屋にはやや大ぶりなシャリの店もあるが、それとても江戸時代と比べると、時代に合わせて小さくなってきたものだ。

ところが南房総には、江戸時代から変わらぬサイズの寿司を提供し続けている店があるという。どんなもんだろうかと食べに出かけた。

そしたら、かなり大きかった。

江戸の寿司は俗に一口半と言われ、一口と半分で食べられる大きさだったというが、これは一口半では無理だ。二口でも無理だ。二口半でなんとか、現代の握りの三倍はある。東京の江戸前寿司と比べてもだいぶ大きい。田舎寿司と呼ばれる所以である。

シャリは江戸前の特徴通りに酢と塩で味付けして甘みがない。寿司ダネは現代的に生モノ中心であり、軍艦巻きは後から取り入れたものだろうが、酢〆の鯵の一匹寿司は、江戸時代の名残りだと思われる。

房総半島南部は、山と海に挟まれた地形のせいで陸上交通の発展が遅れ、長らく海上輸送が主力であった。そうした陸の孤島的な要因もあって、江戸時代の食文化が今も残っているのだろう。