雨降る南アルプス 2 – 徳右衛門岳
登っても登っても登りが続く。それも、けっこうな急登だ。
早朝に二軒小屋を出発し、それからずっと登っている。荷物の重さで肩は痛み、背中と腰は圧迫される。足には力が入らず、歩みは遅い。
天気は良い。青空だ。しかし、深い森の中を登っていくので展望もなく、好天の恩恵はあまりない。むしろ蒸し暑いくらいである。
昨夜も眠りは浅かった。疲れているのによく眠れず、夜中に何度も目が覚めた。朝まだ暗いうちから起きて支度はしたが、体が重くて動くのが億劫だった。
そんな状態で、この登りだ。もっと緩やかな尾根を想像していたのだが、笊ヶ岳にも匹敵する激登りであった。道もあまりよくはない。
木々の切れ間からピラミッド型の蝙蝠岳が見えた。
遠いな。あそこまで行くのか。
とにかく登り続けて、徳右衛門岳まで来た。ここまで7時間もかかってしまった。予定をだいぶオーバーしている。しかしまだ終われない。先へ進むしかない。なんとか蝙蝠岳の山頂直下まで登りたい。
水場が当てにならないので二日分の水を背負ってきた。そのせいで荷物が重くなったが、やはり水を担いできてよかった。ルートを外れて水場を探す時間と心のゆとりはなかっただろう。
徳右衛門岳から先は、さらに道が荒れていた。
倒木に完全に塞がれていて、進むべき方向がわからなくなる。踏み跡は薄いかほとんどない。大きな荷物で倒木地帯を進むのは体力的にも精神的にも厳しい。そして、次第にガスが出てきていたのが、とうとう雨も降り出した。
ここで雨かよ。山はどこまでも無慈悲にチャレンジしてくる。
登るにつれて、雨足が強くなってきた。そろそろ限界だ。ビバークしたいが、できそうな場所がまったくない。幼木が密集していて空いてるスペースがない。やわらかな土に雨が降り、沼のようになっている。ずっと斜面で平坦地もない。
ビバーク適地を探しつつ登るが、どんなに我慢しても無理な場所が続いている。なので、しかたなく登り続ける。
どれだけ時間が過ぎたのだろう。雨に打たれ、もはや無の境地で登っていると、不意にぽっかりと視界が開けた。
森林限界を超えた。いや、超えてしまったと言ったほうがいい。
ここからは、雄大な稜線を蝙蝠岳の山頂へと登っていくビクトリーロードである。しかし今日は、もうこれ以上歩く気力がない。もう、ここまででいい。
森林限界を超えたところがちょうど尾根の頭になっていて、テントひとつ張れるくらいのスペースはあった。降りしきる雨の中、急いで設営し、濡れた荷物とともにテント内に逃げ込んだ。
ザックカバーやレインウェアから滴り落ちた水滴が、テントのフロアに水たまりを作っている。マットの上だけが濡れずにすむ領域だ。シングルウォールのテントなので換気はよくない。テント内の湿度は異常に高く、かなり不快である。しかしもう、これ以上は濡れなくてすむというだけでホッとできる。
雷鳴が響いている。バリバリバリバリと天を引き裂く轟音だ。
すぐ近くではないが、そんなに遠くでもない。この状況での森林限界より上のビバークはリスクがないわけではない。
でもまあ、もしなにかあれば、それが自分の運命だったのだ。人生は、運という名の運命に定められている。いまさらジタバタしてもしかたない。それにこれが、いま考えられる最善の方法でもある。あとは祈るくらいしかすることはない。
明日の朝まで、長い夜になりそうだ。
まあ大丈夫だろう。運はいいほうだから。
つづく