ひとりぼっちの忘年会 – 硫黄岳 / 赤岳

早朝の美濃戸口には雨が降っていた。あまりもに寒くて車から降りられずにいると、雨はいつしか雪へと変わった。今日の予定は赤岳鉱泉までだから急ぐ必要もないが、いつまでも待機してるわけにもいかない。意を決して出発した。

のんびり歩いて赤岳鉱泉に到着し、テントを張ったらあとは寝るくらいしかすることはない。シュラフに包まって寒さに耐えていると、なんだか外が明るくなってきた。テントから顔を出すと稜線には青空。風は強そうだが、すっきり晴れている。

行くか、せっかくだし。明日はどうなるかなんてわからないし。

時刻は12時30分。稜線まで登って降りてくるだけなら余裕だろう。

硫黄岳へ向かって登り始めた。

積雪は薄く、アイゼンの歯がガチガチ当たる。歩きにくいのでチェーンスパイクに変えたかったが、あいにくテントに置いてきてしまった。無駄に背負ったピッケルは、ただの重りとなっている。

赤岩の頭で森林限界を超えた。阿弥陀岳から赤岳、横岳を通って硫黄岳まで連なる山並みが青空の下で輝いている。この角度から眺めるのはひさしぶりだ。天狗岳から蓼科山までもよく見えている。

予想通り景色はいいが、想像以上に寒かった。ひっきりなしに垂れてくる鼻水が爆風に吹き飛ばされていく。でも、ここまで来たなら山頂まで行く。

硫黄岳の山頂では、風はさらに激しく吹いていた。あまりに寒くてじっとしていられない。ひさしぶりの雪山にまだ体が慣れてないようだ。だだっ広い山頂では、風を遮るものもない。

それでも爆裂火口の淵を歩いて最高地点の近くまで行き、名残惜しくて山頂をうろうろ歩いていたが、たまらず下山することにした。山頂滞在時間は20分、たいした防寒着も持ってなかったので、これが限界だった。

夕暮れには下山し、担いできた肉と酒でささやかな宴を催した。夜中の冷え込みはかなり厳しく、スリーシーズン用のシェラフに包まって、震えて耐えた。

あまりよく眠れなかったので、翌朝の出発は遅くなってしまった。ほんとうは再び硫黄岳まで登って赤岳まで、あわよくば阿弥陀岳まで縦走する意気込みだったが、夜半の寒さに気持ちもすっかり萎えてしまった。

それでも、赤岳だけでもいいから登っておこう。今日は天気も良さそうだ。鉱泉でテント泊して硫黄と赤岳をピストンするというへんなルートになってしまうが、まあそれはそれ、そういうこともある。

昨日の失敗を教訓にして、アイゼンは置いていきチェーンスパイクを装着した。ピッケルはいちおう持っていく。ザックはたいして重くないからお守り代わりだ。

行者小屋まで行き、地蔵尾根を登った。まだ積雪はほとんどなく、階段も鎖も出ていてほぼ夏道だった。

地蔵の頭で赤岳と対面。何度見ても見飽きない大好きな眺めだが、赤岳は思ったよりずっと黒かった。風は穏やかで、日差しは暖かい。昨日の雪もだいぶ溶けてしまったようだ。

いちおう雪はあるが、ほとんど雪山らしくない道を登っていく。

どの方向を見ても山並みがスッキリ見えている。右手には阿弥陀岳、ずっと向こうは北アルプスだ。正面の赤岳の後ろには富士山、左手は奥秩父の山々、振り向けば横岳から硫黄岳、さらに先への主稜線。

こんなコンディションのいい日はめったにない。

山頂まで登ると、キレットを超えて権現岳まで連なる稜線が目に入る。その向こうは南アルプスだ。

登ってきてよかった。

もうあちこち歩かなくてもいい、今日はここでゆっくりしよう。

山頂の社の裏側に陣取り、阿弥陀岳を眺めつつ焼きそばを食べた。その後は、知り合いにばったり遭遇してしばらくお話ししたりした。

さて、いつまでもいるわけにもいかない。そろそろ下山しようか。行者小屋まで降りても赤岳鉱泉まで行ってテントを撤収しなければならない。美濃戸口までもどるのは夕方になりそうだ。

美濃戸口に着いたら、J&Nでひとり忘年会をしよう。今年はみんなで集まれなかったから、その代わりに。

2020年12月