歩くよりも3倍速い赤い彗星号、上高地へ行く

GWに一棟借りして宴会をした上高地のキャビンに、この秋、再び集合することになった。

他のメンバーは金曜から有給を取り、観光したりどこか登ったりしてから行くというたいへんけしからん境遇だが、わたくしは土曜の朝に出発である。金曜の夜から行き、土曜は焼岳あたりに登ってから小梨平へ下山するというのも考えたが、なんだかあわただしいのでやめておいた。それにパッキングもしてないし。

しかし、ただ上高地まで行って帰ってくるだけでは面白みがない。そこで今回は、以前からやってみたかった案を実行することにした。すなわち自転車で上高地入りである。

自転車で上高地へ行くなら家から行くべきだろってのはその通りだし、そうしたいのはやまやまだが、それだと往復で四日もかかってしまう。なので、しかたなく松本から…それもまだちょっと遠いので、さらに日和って沢渡からにした。あくまでもしかたなくだ。これだと片道たったの15km、これで往復のバス代2050円も節約できる。

というわけで、沢渡に車を停め、我が愛車「歩くよりも3倍速い赤い彗星号」で出発だ。

15kmはさすがに短い、1時間もあれば着くだろう、出発前はそう思っていた。しかし、ゆるやかだったのは最初の数百メートルだけで、その後は延々と登り坂が続く。登っても登っても登り坂だ。

絶対に押して歩かないぞと誓って出発したが、すぐにふらふらになってしまった。自転車で坂を登るのは、テント泊装備で山に登るよりもずっとキツい。ついに坂巻温泉で止まってしまった。押して歩くのは避けたいので、アスファルトに座り込んで休憩だ。これはあくまでも休憩である。

それにしても体力なくなったな。いや、自転車を漕ぐ筋力がなくなったのか。かつてはインド最南端のカニャークマリからネパールのカトマンズまで、インド製の自転車で走破したというのに。あの時は一日100kmなんて物足りないくらいだった。インド製の自転車はもちろん無変速で、白黒映画で駐在さんが乗ってるようなやつだったのに。

まあ、思い返してみれば、マドラスで自転車を手に入れて最初にマハーバリプラムまで走った日は、大した距離ではなく、ほぼ平坦だったにもかかわらず、ふらふらのへろへろだったのだが。

さて、しばらく休んだら再出発だ。まだまだ登りは続く。考えてみれば、安房峠を越えるまで下りはないのだから、この先もずっと登りなのだ。絶望的な気持ちになった。ここは、帰りは楽になるからと自分に言い聞かせて乗り切るしかない。

何度も休憩し、それでも押して歩くのだけはかたくなに拒否して釜トンネルの入口まで来た。ここでガードマンに止められて、自転車で走っていいとこ悪いとこの案内をくどくど聞かされたのち、よし行くぞ!と走り出した。ここからが本番だ。

が、しかし、釜トンネルに突入して数メートルで、それ以上は登れずに止まってしまった。

これは無理だろ。角度が急すぎる…。

ここまでとは明らかに次元の異なる急角度だ。これはどんなにがんばっても自転車では登れない。漕ぐのは諦めて押して歩く。

地鳴りのような唸り音がトンネル内にこだまする。自転車のすぐわきをバスやタクシーがひっきりなしに通過していく。日頃は車を運転してるからよくわかるが、自転車で走ってて事故に合うか合わないかは、単なる運でしかない。突っ込んでくる車があれば避けられない。どうか無事にと祈るしかできない。

釜トンネルは長い。登っても登っても出口が見えてこない。俺はいったいなにをしてるんだろうという疑問がふつふつと湧き上がる。

トンネル総延長1.3km、標高差150mを押して登り、再び陽の光を浴びた。

まったくもう疲れ果てた。1時間で到着するつもりが、すでに2時間近く経過している。背中に背負ったザックが重い。玉ネギ10個にジャガイモ10個、あとはアルコール類が何本か入ったザックだ。この玉ネギとジャガイモが到着しないと、夕飯の支度が始められない。責任重大なのである。

釜トンネルから先は比較的穏やかで、下りもあって快適だった。自転車ってのは、下りになるとほんと気分良い乗り物だ。上りはあんなにつらいのに。

すでに太ももやふくらはぎがパンパンである。自転車に乗ると、日頃はあまり使わない筋肉を使うようだ。すぐに息も上がり、心肺機能の強化にもなる。ジョギングしても登山にはたいして役に立たない気がするが、自転車は登山のトレーニングに最適なのではないだろうか。

最後のアプローチは平坦でやや下り気味であったので、歩くよりも3倍速い赤い彗星号は颯爽と上高地入りしたのであった。

バスターミナルの端っこの駐輪場には、他にも6台の自転車が停まっていた。こんなとこまで自転車で来る物好きたちである。なぜかどれもこれも赤色であった。物好き自転車乗りは赤が好きなようだ。

キャビンでは、数ヶ月ぶりにみんなと再会し、豪華な夕食と楽しいお酒をいただき、賑やかに夜は更けていった。

翌朝、朝食とは思えない質と量の食事をいただいた後、天気もいまいちなのでこのまま解散ということになった。

それがちょうどラウンジのオープン時間だったので、帝國ホテルへと向かう。前回は売切れていた一日限定20個のプリンが目当てだ。

歩くよりも3倍速い赤い彗星号で帝國ホテルに乗り付け、ラウンジのお姉さまに尋ねると、プリンはまだ十分あるという。

しかし、我々が6個注文したとはいえ、この後まもなく売切れになっていた。10時オープンで10時20分には売切れてしまうのだから、幻のプリンと言われるのもしかたあるまい。プリンは高級な味がした気がするが、プリンにはまったくもって明るくないので、これがどれほど高級プリンなのかはよくわからずじまいであった。

バスターミナルへ歩いてもどるみんなと別れ、自転車を走らせる。行きとは違って下りだから楽で速い。というか、スピード出過ぎだよこれ…。

登りで苦労した釜トンネルの急な傾斜を、こんどはハイスピードで下っていく。転倒したらただではすまないスピードでカーブを曲がる。すぐ横を大型バスが追い抜いていく。トンネル内は暗く、見通しが悪い。はっきり言ってかなり怖い。

釜トンネルを抜けてからもずっと下り坂だ。昨日はよくこんなの上ってきたなと我ながら呆れた。どこまでもどこまでも下り坂が続いている。

恐ろしいスピードにビビりつつ、あっという間に沢渡に着いた。無事に帰ってこれてホッとした。

秋の上高地二日間が終わった。

いったい何をしてるんだ?と疑問に思わないこともないが、楽しかったからこれでいいのだ。