西丹沢周回 その2

山場は超えた。あとは黙々と歩くだけ。犬越路から大室山への登りにとりかかる。

こちらは南側斜面なので残雪はなく、傾斜もそれほど急ではない。この先は、こんな感じの登山道が続くはず。ここからスピードアップしていく予定だ。

春の靄った空ではあったが、朝のうちは晴れていた。それが、いつのまにか空は灰色になり、気づいた時にはガスの中。さらに、あろうことか白い物がちらちら舞い落ちてきた。

えっ?雪?いまごろ?

まあ、すぐにやむだろうと高をくくっていた。しかし、ちらちら舞う白い物の量はだんだん増えてくる。そしてあっという間に辺りは真っ白になってしまった。

ここで雪かよ。山はチャレンジしてくるな。暖かいと思ってたから、今日に限って薄着だ。

どうしよう。進むか。それとも犬越路までもどって下山するか。

雪が降るとは全く予想してなかった。予想外のことが起こると不安になる。不安が行き過ぎるとパニックにもなる。

でもそれは漠然とした不安だ。

不安は不安として、いまの状況を冷静に考えてみよう。雪はどんどん降ってくる。でも風はない。それほど寒くはなく、むしろ暖かいくらいだ。ガチの雪山に行くには薄着すぎるが、これくらいなら必要十分の衣類はある。天候もこのあと大崩れすることはないだろう。明日にかけて回復傾向のはずだ。湿った空気が入り込んで一時的に雪になったが、それほど長くは降り続かないと思う。風も吹き荒れないだろう。いざとなれば避難小屋もエスケープルートもある。この先の登山道は比較的緩やかで、危険なところもない。それにここは丹沢の一般道だ。少々雪が降り積もったくらいでルートを見失うこともない。下山が遅れると暗闇の沢沿いを下らなければならなくなるのが唯一の懸念だが、まあなんとかなるだろう。丹沢だから指導票は豊富にあるはずだ。

行けるな。引き返さずに、まずは大室山の山頂を目指そう。

この先、眺望を期待して行く場所はない。どんな天気でもあまり関係はない。とにかくただ歩くことが目的なのだから、雪でもいいのだ。雨よりましだ。

稜線は思ったより残雪があった。しかし、それなりに締まっていて、歩きにくいことはなかった。雪はますます激しく降ってくる。風はなく穏やかで温かく、吹雪とは違う。しんしんと降り積もる雪の稜線を黙々と進む。

凍結個所もあり、転びたくないので、再びチェーンスパイクを装着した。この程度の緩斜面ならチェーンスパイクでじゅうぶん効いてくれる。

加入道山に到着した時には、さらにいっそう降雪が激しくなっていた。でも不思議と、嫌だなとか酷いなとかのマイナスの感情は浮かんでこなかった。いや、むしろ楽しいくらいだった。

避難小屋には立ち寄らず、雪が降り積む白い山頂で、ベンチに座って固くなったおにぎりを食べた。登山はスポーツではなく、旅だからな。旅なら楽しまなくっちゃ。

避難小屋に泊まる気もエスケープルートで下山する気も、もとよりさらさらない。畔ヶ丸へ向かって進むだけだ。

標高が低くなるにつれて、残雪も降雪も少なくなってきた。

しかし、湿った雪の上を歩くのが、こんなにもウザいものだとは知らなかった。たった数センチの積雪なのにだ。

湿った雪はチェーンスパイクの底に張り付き、すぐに団子になってしまう。立ち止まり、靴の裏にくっ付いた氷の塊を取り除いて歩き始めても、数メートル進むだけでもう団子ができてしまう。最初は立ち止まって取り除いていたが、面倒になり、地面を蹴り込んで大きな塊の一部を崩すようにした。が、それも面倒になり、もう団子ができるままに放っておくことにした。

普通に考えればわかるが、氷の団子を足の裏にくっつけて歩くのは、めちゃめちゃ歩きにくい。それにこれじゃあチェーンスパイクの意味もない。たまらずチェーンスパイクを外したが、すると今度は湿った雪が靴底に張り付き、氷の板をくっつけて歩いているようになってしまった。

なかなか思うように進まないのでイライラしてくる。時間も押して焦り始める。暗くなっちゃうじゃないか。急げ急げ。早くしなくちゃ。

スピードを上げて岩場を登り、下り道を一気に進もうとしてブレーキをかけた。

いかんいかん。焦っちゃいかん。急いでいても焦っちゃいかん。焦れば事故につながる。不必要に不安がるのも事故につながる。

先のことを予想して対応を考えておくことは必要だが、それに囚われてしまってはいかん。ヘッドライトはある。電池もある。それでじゅうぶん。暗くなってからのことは、暗くなってから対応するしかない。いまじゃない。

いまは、焦らず急いで、目の前のことをひとつずつ順番に確実にこなしていくだけだ。

一歩ずつ歩いていけば、いつか必ず目的地に着く。