年越しナイトハイク 2015-2016 sect.4
塔ノ岳から見下ろす夜景は、うっとりするほど美しい。
宝石を散りばめたような…っていう陳腐な例えしか思いつかないキラキラ輝く街の灯。その先の闇の海。大山まで連なる表尾根の黒い稜線。
うっとりしながら眺めていたが、じっとしてると寒い。それに眠い。先へ進もう。
表尾根へと踏み出した。
いつくかのピークを越えてヤビツ峠まで下り、そこから大山へ登る。
つかれと眠気でよろよろした歩きだ。
喉はもうカラカラだ。ヤビツ峠に着いたらなにを飲もう…と考えながら下る。
冷たいジュースを一気に飲みたい。でも暖かいものも飲みたい。水も買っておかなくちゃ。あれこれ考え、まずはホットレモンを飲み、それからコーラを飲み、水を一本買っておくことにした。
書策小屋跡地で休憩し、時計を見たら0時20分だった。
知らないうちに2016年になっていた。
もうだいぶ集中力もなくなってきている。
歩いたことあるとはいえ、表尾根はクサリ場もあるしザレた急斜面もある、崩壊しそうなヤセ尾根もある、慎重に歩かなきゃ…と思っていたのだが、数年ぶりの表尾根はびっくりするくらい整備されていた。
クサリはあちこちに架けられ、急斜面には階段がしつらえられ、荒れた登山道には木道も敷かれている。ヤセ尾根は補修され、迂回路も造られている。広くて硬くて真っ平らな林道のような尾根道もある。なんか拍子抜けした。
丹沢の一般道では唯一のアルペンチックなルートであった表尾根も、丹沢の他のメジャールートと同様に公園になってしまったようだ。
意識朦朧としながら鳥尾山を越え、三ノ塔へと登る。
ねむいねむいねむい。こんなに眠くなるとは思ってなかった。
これはもう、疲労との戦いでも自分との戦いでもなく、ただひたすら睡魔との戦いである。
全身が筋肉痛になってきた。足は特にひどく、力が入らない。背中や腰も筋肉痛だ。まさか、歩いてるうちから筋肉痛になるとは。
新年早々、いったいなにをやってるんだろう…。
三ノ塔の避難小屋に逃げ込んで、横になって眠ってしまいたい気持ちをぐっと堪えて、二ノ塔へと進む。
二ノ塔からの下りは特別厳しかった。
力の入らない足で山道を下るが、よろよろして、ゆっくりとしか進まない。
最後に残ったほんのひと口の水も飲んでしまった。逃げ場はない。ヤビツ峠まで行くしかない。
眠気はもうとっくに限界を超えている。立ち止まって目を瞑ると、その瞬間に意識が飛んでいく。それでもなんとか進んでいたが、とうとうたまらずその場で腰を下ろし、階段に座って眠ってしまった。
どれくらい眠っていたのだろう。
目が覚めたが、時計を見る気力もない。
再びよろよろと歩き出すと、登ってきた登山者とすれ違った。
初日の出を山頂で見るために登っていくんだろう。そうか、そろそろそんな時間か。
その後も数人の登山者とすれ違った。中には「もう下るんですか?」と声を掛けてきた方もいた。そりゃそうだ。元日の早朝まだ暗いうちに山から下りてくる人は普通いない。
朦朧とした意識で曖昧な返事をしてやり過ごす。
もはや夢遊病者のようだ。
ようやく舗装路に出たときは心底ホッとした。
しかし、そこからヤビツ峠までが、また長い道のりであった。
もう意識が飛んでる時間のほうが長いくらいだ。
歩けど歩けどたどり着かない気がして、心折れそうになりながらも、ようやくに駐車場が見えてきた。
2016年1月1日午前5時10分。塔ノ岳から実に6時間もかけての下山であった。
ヤビツ峠に到着し、楽しみにしていた自販機を探す……が、見当たらない。
うそ! 以前はあったよね? あったはず…。
あきらめきれずしつこく探したが、ない。どうやってもない。どうしよう…。
もう精も魂も尽き果てた気分であった。
しかし、ここでじっとしていてもどうにもならない。
しかたない。大山まで登るとするか。大山山頂の売店はさすがに営業してるだろう。
道ばたに座り込み、つぶれたアンパンをもそもそと食べて再出発した。
大山を目指して登り始めるが、全くスピードは出ない。
初日の出目当ての登山者にどんどん抜かされていく。数え切れないほどの人に抜かされたが、だれひとりとして抜くことはなかった。
空が明るくなってきた。海も見える。
ほのかに色づく水平線を眺めていると、ほんの少しだけ力が湧いてくるようだった。
雲ひとつない最高の元旦だ。西の空には富士山が聳えている。その手前には丹沢の山々。あそこずっと歩いてきたんだよな。いや、あのずっと向こう側から。
そう思うと、ちょっぴり自慢げな気持ちになった。
東の空はしだいに明るさを増し、やがて水平線から2016年最初の日の出が姿を現した。
あぁ、なんということだ。山頂まで間に合わなかったか…。
CT通りなら、日の出の数時間前に到着するはずだったのに…。
初日の出を拝んでから、山頂までのあとわずかの距離を登る。すでに日も上り、山頂からはどんどん人が下りてくる。その人の波に逆らって登る。
大山山頂到着、2016年1月1日午前7時10分。高尾山口駅を出発してから25時間40分。
まずはなにをさし置いても売店で水を買った。300円もするがしかたない。もったいないので一本しか買わず、ひと口だけ飲んだ。うまい。
まだ多くの人で山頂は賑わっていた。いくつものグループがおいしそうなものを作っている。隅のほうにちょっとしたスペースを見つけ、自分もそこで朝ごはんのしたくをすることにした。
水が買えたので、濃縮出汁を薄めることができる。これで雑煮を作り、ずっと担いできたおせち…といってもカマボコと伊達巻とコンブと黒豆だけだが…を食べた。
ふぅ。落ち着いた。
天気もいいし、なかなかよい年の初めではないか。
ひとしきり休憩して、再び歩き始めた。
海まではまだあと7~8時間かかるので、ここは諦めて下山することにした。といっても、下山も2時間はかかるのだが。
先ほどまでと比べれば、ずいぶん快調に下っていける。何人もの人を追い越していく。足の痛みも多少は引いた。
なんだろう。これで終われるとなったら力が湧いてきたのだろうか。それとも朝日を浴びたおかげ? 自分の限界を超えて心と体が軽くなる領域に入ったのだろうか。雑煮とおせちを食べたからかな。
スタートからゴールまでの消費カロリーを、登山の消費カロリー計算式で計算してみた。
((歩行時間24.5時間×1.8)+(歩行距離58.97km×0.3)+(累積標高差登り4.619km×10)+(累積標高差下り4.478km×0.3))×(体重75kg+荷物重量12kg)=9628kcal
9628kcalか…。
対して摂取したのは、おにぎり2個、カツカレー、カップラーメン、エビ天そば、アンパン、餅3個入りの雑煮、簡易おせち…明らかに消費カロリーに比べて少なそう。消費カロリーの半分以下だろうか。
これでは力が出なくなっても当然かもしれない。
ウルトラのランナーはレース中のカロリー摂取を緻密に計算する。そうでなければ最後まで走り切ることなど不可能なのだろう。
腹回りに蓄えたエネルギーを消費できていいやと思って、いままではシャリバテ状態でもかまわず歩いていたが、超長距離になるとそうもいかないのだな。
阿夫利神社下社で初詣をすませ、コマ参道を抜けてバス停まで下山した。
体も楽になったし、これなら海まで行けたかなと思ったけど、今日のところはこれでいい。最低でも大山…と考えていた最低ラインには到達できたのだから。
後半は、なんでこんなことしてるんだ、二度とこんなことしないぞ、と思いながら歩いていたが、こうして最後まで歩き切ってみると、またやりたくなってる自分がいるのが不思議であった。
すがすがしい気持ちで伊勢原行きのバスに乗り込んだ。