山を楽しみ、山に親しむ – 上高地・蝶ヶ岳

山が光ってる。冷たい空気が心地よい。

こんな素晴らしい日は年に何回もない。いまここにいて、この景色をのんびり眺めてるというのは、なんとも幸運なことだ。

今日は山には登らない。早朝のバスで上高地に入ったが、目的地は小梨平だから10分も歩けば着いてしまう。

ゴールデンウィークに小梨平のケビンを借りてみんなで泊まる、そんな計画に誘われたので、迷わず参加を決めた。遠くへ旅行したり、どこかの山に登ったりはいつでもできる。でも、ケビンを一棟借りするのは、ひとりではできない。せっかく上高地まで行って山に登らないなんて…と思う人もいるだろうが、楽しみ方を限定してしまうのは楽しくない。新しい体験に対しては常にオープンマインドでいたい。

チェックインまではまだずいぶん時間があるので、荷物を預けて周辺を散策する。

梓川沿いをぶらぶら歩き、望遠鏡をのぞいたり、土産物屋を冷やかしたり、ライブカメラに写ってみたり、ウェストン碑にがっかりしたり、帝國ホテルに入ってみたり、プリンを食べそこねたり…。思えば、上高地でゆっくり過ごすなんていつ以来だろう。すっかり足早に通り過ぎる場所になってしまっていた。登山を趣味としていると山の上ばかりに目が行ってしまいがちだが、上高地だってなかなかどうして素敵な場所だ。

優しい風に青葉がそよぎ、光の粒がキラキラと降ってくる。振り向けば、青と白のコントラストが眩しい。

関西組みも到着したので、合流してチェックイン。

夕飯のしたくを眺めたり、ビールを飲んだり、白く輝く穂高を見上げたりして午後を過ごした。

食べきれないほどのご馳走と、誰がこんなに飲むんだよってほどの多量のアルコールとともに夜は更けていった。

翌朝もよい天気。朝からたっぷりの美味しい朝食をいただいて出発。梓川を上流へ向かう。

立ち止まり花を愛で、山を見上げて風を感じる。いつものように先を焦って足早になる必要もない。贅沢な時間だ。

徳沢まで歩き、ソフトクリームで乾杯してから、みんなと別れた。もう一日休みがあるので、もう一泊していく。ここからはひとり旅だ。

登り始めてしばらくすると雪山になった。雪を踏みしめて、薄暗い樹林帯を黙々と登る。どこまで登っても雪と樹林は続く。

先ほどまでの楽しさとはまた違った山の楽しさがやってきた。

いいかげん飽きてきて、いつまで樹林帯なんだよとうんざりしたころ、ようやくぽっかりと視界が開けた。

森林限界を超えると、蝶ヶ岳はすぐそこだ。雲は多いけど眺望はある。うん、これなら満足だ。谷の向こうは、槍から穂高のあの稜線。進む先は常念から大天井まで続いている。なんど来てもいい山だ。

ガラガラの幕営場を適当に整地してテントを張った。

夕暮れの太陽が景色を淡い色で包む。静かな時間がゆっくりと流れていく。一日が終わってしまうのがもったいなくて、ちょっとだけ寂しい。

西の空に日が沈み、まもなく夜がやってくる。夕飯は残ってる食料で適当にすまそう。

こんな夜も悪くない。

槍穂にかかった雲が薄紅色に染まっている。朝が来た。

早々に荷物をまとめて出発。少しだけ先へ稜線を歩く。冷たい空気が肺に満ちる。人はどこから来てどこへ行くのか。生きる意味ってなんだろう。美しい朝だ。

槍から穂高まで歩いたのは何年前だったか。蝶から常念まで行ったのはそれよりも前だ。常念から大天井は何回か歩いたな。振り向けば乗鞍とその向こうは御嶽。山を望むと、忘れていた記憶が蘇る。それぞれの山にそれぞれの思い出がある。そして今回も新しい思い出が加わった。楽しい思い出だ。

さて、あと少しでこの美しい稜線ともお別れ。そろそろ山を下って、自分の場所へ帰るとしよう。