初めての、おテント泊 – 雲取山

遠かった…。

七ツ石山が、こんなに遠く感じるとは…。

今回は内田有紀似(自称じゃなくて他称だそうです)K女史のテント泊デビュー。

我が家にはテント泊装備が2セットあるので、テントとマットをお貸しして、シュラフは自前のを持ってきてもらいました。
ペグやポールはわたくしが担いでるし、いつもとそれほど変わらない重量だろうと思ってました。

が、そうではなかったようです。

七ツ石小屋まであと少しの急斜面の途中で、K女史が動けなくなってしまいました。

まあ、深刻な状況ではないのでしばらく休んでいれば復活するでしょうが、本人はそれどころではありません。

「このこと内緒にしといてよ!」

最初のうちはそんなこと言ってたK女史でしたが、だんだんそんな余裕もなくなってきたようです。

晴天のゴールデンウィークの一日で、多くの人が行き交っており、狭くて急な登山道の端っこに座り込んでいるのは少々迷惑でもあり、かなり恥ずかしくもあります。いや、本人はそれどころではないのですが。

テント泊というのは、ただ山でテントを張って寝るだけではありません。生活道具一式に食料と水、そして住居までをも背中に背負って山に登り、そこで寝ることなのです。
自分が背負える荷物量を把握し、必要だと思われる装備と重量のトレードオフに真剣に悩み、いつもより重い荷物を背負える体調管理に歩行ペースも考慮しなくてはなりません。

まあ、この日は、これくらいならいいだろうと、休憩もあまり取らずに登り続けてしまったので、わたくしとしてもちょっと反省してはおります。でもまあ、こんなこともあるかもなとも思っていたので、すぐに対応できるように準備してありましたし、まあ想定内ですね。

一時間ほどでようやくまた動けるようになり、そこから七ツ石山へよろよろと登り、山頂でしょんぼり休憩してから、再び痛々しい足取りで奥多摩小屋のテント場に到着しました。

長い長い道のりでした。

へたり込んでるK女史のかたわら、テントを二つ設営し、水場で水を汲んできたら、ほどなくして夕暮れでした。

夕飯は適当に持ち寄りにしたのですが、K女史はいろいろ重そうな食材を背負ってきてたようです。
登山道の端っこで動けなくなってるあいだ、K女史の荷物から重そうなものを選んでわたくしのザックに移したのですが、その中にやけに重い袋があったのが食材でした。

そういえば会津駒でも同じパターンだったような…。

テント泊山行というのは、重い荷物を背負って山に登り、そこで寝るだけではありません。どんな食料をどこで食べるか、味と栄養と重量を考えて決めなければなりません。食料計画もテント泊山行の重要な一部なのです。

次回からは、乾物以外は禁止にしようと思います。

せっかく担いできた食材でしたが、夜も更けてきたうえに疲れててあまり多くは食べられず、ささっとすませて就寝時間となってしまいました。

翌朝。

テントが飛ばされそうな強風と、この季節ではあまりないほどの冷え込みに耐え続ける一夜でしたが、早朝には穏やかな天気となっていました。

薄明るくなった空には月が輝いています。雲ひとつなく、絶好の稜線歩き日和のようです。

昨夜、明日の出発時間は4時半とお伝えすると、少々驚いたような不満なような顔をしていたK女史ももう起きだして準備完了です。

時間はたっぷりあるから、ゆっくり出発してもいいのですが、夜が終わり朝が始まるこの刻をテントの中で寝て過ごすのではなく、ぜひとも稜線で迎えて欲しかったのです。

深くて濃い藍色の空が、しだいに薄い紫から薄い青へと変わり、やがて世界はオレンジ色の光で輝き始めます。空気は冷たく凛としています。

山の一日の中でもっとも美しいこの時間、これを稜線で過ごすのがテント泊山行の醍醐味であります。

奥秩父の山並みの向こうには富士山。雪をいただいた南アルプスも見えています。

「山がうねうねしてるところに光と影ができててきれい〜」

K女史はなにやらマニマックなところに感激してるようですが、とにもかくにも感激していただけたのでよかったです。いろいろありましたが、苦労して来た甲斐があったというものてす。

ほとんど荷物を背負ってないから大丈夫だろうと思いつつも、慎重にゆっくりと石尾根を歩き、雲取山の山頂まで来ました。

K女史はこれが初めての雲取山です。K女史が山を始めてからずっと来てみたかったけど、なかなか来れなかった雲取山なのでした。
広々とした尾根に雄大な眺め、初めての雲取山に初めてのテント泊。いちいちひとつひとつが感動的なようでした。

まあまあいい天気だなくらいしか思ってなかったわたくしは、すっかり心がスレてしまってるようでした。

ひとしきり山頂で過ごしてから、テント場にもどって撤収。

「名残惜しい」というK女史に、もういちど七ツ石山に登るか尋ねましたが、首を大きく左右に振ったので、ブナ坂から巻道で下山しました。

バスに乗って奥多摩駅までもどり、温泉で汗を流してサッパリしてからビールで乾杯。

つかれと寝不足とホッとした気持ちになったうえに、空きっ腹に一気にビールを流し込んだので、酔いがまわるのが早いようです。
さらには、酔ったK女史と呑み屋の女将さんになぜだか説教されるという理不尽な仕打ちもうけ、すっかり悪酔いしてしまいました。

カウンターに突っ伏して、呑み屋で水を出されるという屈辱も味わい、しかも三杯も水を飲まされ、そろそろ終電だからと店を出されましたが、途中の記憶が断片的なまま、翌日の朝を迎えました。まあ、財布も携帯もあったので、大丈夫だったようです。

帰り道、途中駅で別れたK女史は、家に着いてもカギが見当たらず、しかたなく近所のファミレスで一夜を明かしたそうです。テント泊の帰りにファミレス泊とは、なかなかのツワモノであります。

結局カギは、ザックのいつもは使わないポケットに入っていたとのこと。

テント泊山行とは、しっかりと計画をたて、装備を吟味し、重い荷物を背負って山に登り、山で寝るだけではありません。

テント内のせまいスペースを有効に使い、必要なものがいつでもすぐに取り出せるようにしておき、しかもすぐにパッキングができるよう整理整頓しておく、そんな生活技術もテント泊山行の重要な要素なのでした。

次回のおテント泊がいまから楽しみです。