ちょっとだけマイナーな身延の山々 – 思親山 / 三石山

思親山。親を思う山。この情緒的な名の山は、山梨県の左下、天子山地の南端にあります。

山名の由来は、身延山で修行中の日蓮上人が、この山越しに故郷安房小湊の両親を偲んだという言い伝えからきているそうです。

ん?安房小湊?それって外房じゃないですか。

ずっと昔に安房小湊の料理が豪華だっていう旅館に泊まったことがあります。そういえば近くに日蓮上人のなんちゃらかんちゃらっていう大きなお寺がありました。

身延山から安房小湊まで、山を越え海を渡り直線距離で165キロあります。対して思親山まではたったの13キロ。それに、思親山は身延山から安房小湊への直線上にはありません。南に45度もずれています。身延山から思親山への直線をそのまま伸ばしていくと伊豆半島を横断して太平洋へ飛び出し、南極大陸に到達してしまいます。ダメじゃん日蓮さん…。

他に目立った山もないならまだしも、いくらでも山がある中で、ここまでずれた山を目印にはしないでしょう。なんでもかんでも日蓮上人に関連付けたがる気持ちもわからないではないですが、これはちょっと無理があるのではないでしょうか。

ちなみに身延山と安房小湊の直線上には富士山があります。故郷の両親を偲ぶときは、富士山に向ったほうがいいですよって修行中の日蓮さんに教えてあげてください。

山梨県は海のない県ですが、実は海からそんなに遠くない場所もあります。山梨県の左下は海に向かって大きく垂れ下がっていて、その先端付近にある親親山から海岸線まで22.5キロしかありません。山頂からは優雅な相模湾の海岸線が望めます。そしてもちろん富士山も。

思親山からは北上して三石山を目指しました。びっくりするほど立派な駐車場のある佐野峠まで下ると、そこから先は登山道があるんだかないんだかわからないような道になります。まあ、稜線伝いに進めば、たどり着けることでしょう。

地形図にない林道で分断されてて取り付きが見つからず、斜面を強引に直登して稜線に乗っかったり、踏み跡も見えないカヤトのヤブ漕ぎしたり、これは一般ルートかと思うほどの広くてなだらかな道もあったりとなかなかに楽しい縦走路です。だれにも会いませんしね。

三石山に近づくと、それまでの雰囲気とはがらっと変わって岩がちな地形になります。雪の付いた急傾斜の崩れる斜面を強引に登ると、山頂の巨石が目の前に現れました。山名の由来にもなっている三つの巨石です。この巨石、二つに見えるけど三つあるのでしょうか。それとも離れたとこにあるやつを含めて三つなのでしょうか。いろいろ確かめてみたかったですが、雪深いのであまり歩き回れませんでした。

山頂には祠もあります。いまでも信仰を集めるこの山頂では、かつては雨乞いの儀式も行われていたそうです。祠の中には記帳ノートがありました。2017年2月11日に記帳しているのがわたくしであります。

祠の裏の一段高くなってる場所に山頂標識がありました。が、そのさらに先のほうがもっと高いようにも見えます。地形図と高度計を持ってうろうろしましたが、どこが最高地点なのかよくわかりませんでした。まあ、このへん一帯を山頂ということにしておきます。

三石山から先は一般ルートになります。道標は多少ありますが、道の感じはここまでとそれほど変わりません。

そうして下山したところが大崩集落です。山間の小さな山村です。この集落の人たちが、山頂の祠や登山道の整備をされてるそうです。かつては雨乞いの儀式も執り行っていたのでしょう。ひと気のない静かな山村ですが、めちゃめちゃ犬に吠えられました。

山から里へと降りると、いつもなんだか寂しさと安堵の入り混じった気持ちになります。これが、異界である山から人里へともとってきた瞬間です。

大崩集落からは身延駅まで舗装路を下ります。一日ずっと山中を歩いていた身には、身延の町が大都会に感じられます。

Suicaも使えない改札を通り、1時間10分に一本しかない電車に乗って、出発地点の井出駅へもどりました。