酒の神様と白砂の稜線 – 羅漢寺山

目の前には南アルプス。甲斐駒から鳳凰へ続く尾根の向こうの白峰三山。

反対側は奥秩父。金峰山の雄大な山容。茅ヶ岳、金ヶ岳から曲峠への急な下り、さらにそこから再び上って、曲岳、黒富士、太刀岡山と続く山並み。裾野の集落。

南側には雲の上に頭を出した富士山。

一周ぐるっと山だ。

超有名な山々に周りを囲まれた甲府盆地の北にある羅漢寺山の山頂からは、山梨県内の主だった山が全て見えている。

壮観な眺めだな。ここまで来てよかった。

もうずいぶん前のことだが、このすぐ近くまでは来たことがある。

昇仙峡を散策し、適当に山の中を歩いたりしたが、山頂までは登らなかった。
いまでは考えられないが、当時はピークを踏むことに全くこだわりがなかったのである。

あの山頂からの眺めはどんなだったんだろう…。
なにがなんでもピークを踏むと宗旨替えしてから、ずっと気になっていたのだった。

近いし簡単に登れるし、いつでも行けると思っていたら、なかなか来ることができなかった。どうせなら晴れた日に登りたいけど、晴れた日は別の山へ行ってしまいがちでもある。

でも、いつか…と思っていると、その「いつか」はたいてい訪れないものだ。

来てよかった。ずっとモヤモヤしてた気持ちもスッキリした。

羅漢寺山というのは、八ヶ岳や赤城山のように山の総称であり、最高峰には弥三郎岳という名が付いている。

酒造りの名人弥三郎は大酒飲みでもあり、酒の上での失敗も数多くあった。ある時、住職に大酒飲みを戒められ、最後に一斗の酒を飲んで禁酒を誓った夜、この山頂の丸岩の上で天狗になって空へと消えていったという。

それ以来、この頂きは弥三郎岳と呼ばれるようになった。山頂直下の弥三郎権現には弥三郎が酒の神様として祀られていて、最近まで地元の造り酒屋が参拝に訪れていたという。

酒を造るわけではないが、これからも健康で美味しいお酒が飲めるようにと、酒の神様にしっかりお参りしておいた。

羅漢寺山には、この弥三郎岳とともに、もうひとつ訪れたい山頂があった。

山梨県の観光ポスターでその景色を見たのは、もうずいぶん昔のことである。
白い砂地に点々と生える木々。まるで海岸のような風景。それが山の上に広がっている。

そのポスターを見た瞬間、こんなところがあるんだ、行ってみたいな…と思ったのをよく覚えている。

いろいろ調べて、それが白砂山という山で、昇仙峡の羅漢寺山にある…ということがわかった。しかしそれから長い年月の間、忘れてしまったわけではないが、登る機会は訪れなかった。というかやはり、いつでも行けると思っていると、なかなか行けないものなのだ。

時間的な事情で、天気はいいけど近場の低山をちょろっと登ってこようと考えたとき、真っ先にここが頭に浮かんだ。

ずっと気になっていた羅漢寺山へ。弥三郎岳と白砂山へ。

そうして訪れた白砂山は、ポスターで見た以上に美しい場所だった。

白砂の広がる稜線、変わった形の岩、点々と生える木々。
目の前には先ほど登った弥三郎岳。

だれも登ってこない。景色をひとり占めだ。

ゆったりとした時間が流れていく。

白砂の稜線はしばらくなだらかに続いていて、どこが山頂なのかはっきりとはわからなかった。

見晴らしがよく日当たりのいい場所に座り、ゆっくり昼ごはんを食べ、コーヒーを飲んで、タバコの煙を空に吹き上げる。

いつまでもここでこうしていたい。実にいい気分だ。

ひとしきり休んだら、名残惜しいが下山とする。

帰りは昇仙峡を歩いて、仙娥滝上の駐車場までもどる。

道こんなだったっけ? 舗装されてたっけ? 店もあるし観光客もぽつぽついて、けっこう賑やかだな、なんて思いながら歩く。

以前に来たときは、寂しいとこだと感じたんだが、きっとそれだけ経験値を積んだってことだよね。

さらっと登れるわりには景色もいいし、適度に観光地でそれはそれで楽しめるし、ずっと心の奥にあったモヤモヤも晴らすことができて、充実した冬晴れの一日だった。